ニューイヤー・バレエ②

つづき。

帰路の途中でちょっと気になった可愛い子(娘)にちょっかいを出して、大事な火の鳥の羽根を奪われてしまう王子。娘と触れ合っている間は、羽根を奪われたことに気付きません。

火の鳥の羽根で父王の権力を強化しようとしているけれど、どう使うか明確なビジョンは持っていないように見えます。切実さのない王子だから、寄り道して簡単に羽根を取られてしまうのかも。火の鳥から羽根をもらう冒険はしても、王子の描く未来の世界は、今まで自分が歩んできた延長線上にあるようです。単純な人間で肩肘張っておらず、無理もしていません。ですが、そんな王子だから、娘の心の奥底に眠っていた女性性を呼び起こすことができたのでは?

娘から火の鳥の羽根を渡された反乱軍のリーダー。勝ち誇った表情を浮かべ、パッと羽根を掲げます。羽根を奪われたことに気付き、驚愕する王子。こういう間抜けな王子役が、井澤君、上手い。美形だから、滑稽には見えないし。

対して反乱軍リーダー役の福岡君は、クラシックの王子役で見せるノーブルさは皆無です。踊りはキレキレで、生き生きとしています。舞台の奥に向かってただ歩く後ろ姿にも存在感があります。反乱軍の一群と行動するときは、内に秘めた強さと統率力を感じさせます。踊りも良かったですが、存在感・演技力でも魅せていたので、ロミオとジュリエットのティボルトも合いそうだな、とぼんやり感じました。

反乱軍の召喚に応じて出現する火の鳥。旧来の世界を破壊し、新たな世界を創造しようとしている反乱軍と共にある火の鳥は、王子と邂逅した時のような妖しげな雰囲気はありません。暴力を是とし、力強さを感じさせる男性性を発していました。

羽根を取り返そうとする王子に、仲間を裏切り王子に協力しようとする娘。娘の裏切りに激高した反乱軍。反乱軍が娘を責め立てる中で、娘が少年ではなく女性であることが明らかにされてしまいます。

暴力が支配するさなかに、激高したテストステロン多めの反乱軍の男どもと、か弱い娘一人。後はまぁ、お分かりですよね、こういう場面で女性がどんな目にあうか・・・。どぎつい表現方法ではありませんでしたし、ストーリーの展開上しょうがないこととはいえ、新年からこんな場面観たくない・・・。

獣のように娘に襲い掛かる反乱軍の男どもに対して、リーダーは助けようとも制止しようともしません。このシーンで、王子やリーダー、火の鳥は何していたんだっけ?舞台からはけていたような気がします、うろ覚えですが。

もっと前の場面でリーダーに反発して独自の行動をとっていた反乱軍の一員もいたので、リーダーが制止したところで反乱軍の男性陣の娘への暴力は止めようがなかったかもしれません。そしてリーダーは、きれいごとだけじゃない、濁ったものも併せ呑む人物のようにも見えますし。

混乱の中ですべてが焼き尽くされ、舞台上に残ったのはボロボロになった娘と、火の鳥の死骸。あらすじによると、娘は自分の中に新たな命が宿ったことを悟る、とあります。そして死から蘇った(?)火の鳥が、娘に近づいていきます。

新生した火の鳥は、女性性も男性性も、善も悪もない、ニュートラルな状態になっています。娘に近づいても、娘の中の新たな命の萌芽を祝福するわけではない。ただ、火の鳥との接触で、新たな命がしっかり娘の中に根付いたかもしれません。

火の鳥は舞台奥に向かって、客席に背を向けて去っていき、そして舞台には娘が一人立ち尽くします。この時の12日の米沢さん、13日の五月女さん共に、表情が読み取りにくい。激しい暴力の末に傷ついた心と身体で嘆き悲しんでいるようでもないし、お腹の子とこれから強くたくましく生きていこうといった決意も感じられないし、希望を見出しているようにも見えませんでした。あの表情は何を表していたのだろう?あるがままを受け入れていくといった感じでしょうか?

最後の場面で、長い布(旗でもないし、横断幕でもない)をなびかせて、死んだはずの人々が舞台上を駆け回る演出は、何を示唆していたのでしょうか?

最後に?を残して中村恩恵さん版「火の鳥」は幕を下ろしました。観ていて分からない部分はありましたが、ストラヴィンスキーの音楽に触発されて、フォーキンの火の鳥とは全く違った世界を構築するのは、一言「すごいな」です。ただ日本のお正月には向いてない内容かも。

3演目めはフォーキンの「ペトルーシュカ」です。これもあまり観ない演目で、観るのは久しぶりです。直近で観たのは、東京バレエ団でローラン・イレールが主演した舞台だったでしょうか。この演目も、最後は物悲しくて、めでたさはありません。

カーニヴァルの日、見世物小屋の幕が開き、見世物小屋の親方の笛で、人形3体(ペトルーシュカバレリーナムーア人)が踊りだします。

最初は両脇の下の補助棒に身体を預けた格好で、脚だけの素早い動き。バレリーナ人形役の池田さんが可愛く、細かい脚の動きと音の合わせ方が見事でした。ムーア人人形(中家君)はどっしりと、力強く脚を動かします。ムーア人の顔の色が、黒(こげ茶)ではなく、褐色になっていたのが驚き。時代の変化に合わせて、差別や侮辱にならないように変えているのでしょうか。

この2体のテキパキした踊りと比べて、奥村君演じる人形ペトルーシュカは、脚はしっかり動かしているのですが、上体が右へ左へふらふらと動いています。バレリーナムーア人は上体がしっかりと微動だにしません。この3体の並びだけ見ても、ペトルーシュカは異質なことが分かります。ペトルーシュカだけ芯が通っていない感じです。

補助棒から解き放たれ、広場で踊りだす3体。バレリーナはやはり可愛く、ムーア人は力強い。ペトルーシュカは、ぎこちない踊りで、膝が曲がり、上体は背中を丸くして前方に傾け、腕は前にだらーん。弱そう・・・。ペトルーシュカは、バレエの登場人物(?)上、最弱のキャラクターかもしれません。「ドラえもん」ののび太君でさえ、ペトルーシュカには勝てるはず。

そんなペトルーシュカは、人形なのに心を持ってしまい、バレリーナ人形に恋をします。切ない恋心を訴えても、バレリーナは力強そうなムーア人が気になり、ペトルーシュカには興味を示しません。

筋肉バカ(?)風のムーア人は、バレリーナを追い掛け回すペトルーシュカを追い払おうとします。ムーア人の暴力から逃げようと広場に出てきたペトルーシュカムーア人はなおも執拗に追いかけ、刀でペトルーシュカを斬りつけます。凄惨な出来事に広場の人々はざわめき、斬りつけられたペトルーシュカの屍を囲むように事態を見守っています。そんな人々をかき分け、「心配ないよ。」とでも言うように、ペトルーシュカを持ち上げ人形であることを周囲の人々に示す見世物小屋の親方。安心した人々は三々五々帰っていきます。

最後に屋根からペトルーシュカの亡霊が飛び出し、ムーア人の非を訴える姿に、親方が恐れおののく。「ペトルーシュカ」はこんな感じで終わります。

奥村君、池田さん、中家君の人形ぶりが 良い。池田さんは人形役に徹しようと、できるだけまばたきをしないようにしていたように見えました。中家君も、深いことは考えない単細胞人形を演じきっていたし。人形模様の合間の広場の人々の踊りも楽しい。「くるみ割り人形」でも目を引いた速水君(悪魔の仮装という役柄。小汚い馬の扮装かと思ってましたが、違った・・・)は、今回も踊り終わりをピタッとしめるダンスを披露。

そして主役のペトルーシュカの奥村君。ぐんにゃりとして、芯が通っていない。自分の筋力で動かしているというより、魔法で動いている感じがします。一度動くと、慣性の法則に従ってぶらんぶらんと動き続け、腕は上げても、重力ですぐにパタンと下がります。上体はだらんとしていますが、足元を見ると意外に高くジャンプしていたりします。全身がだれているように見せかけて、身体のパーツごとに細かくコントロールしているようです。スッとした立ち姿で踊っているより実はハードで、難しそうです。表現面でもどうしようもない哀れさや物悲しさが伝わってきました。

火の鳥を演じた木下君といい、ペトルーシュカを演じた奥村君といい、不思議の国のアリスで白ウサギを演じた2人は、今回挑戦しがいのある役が配役されていました。2人とも今回の公演で、他のどの役に配役されるのが相応しいかと考えると、それぞれが演じたもの以外ないという気がします。奥村君はレ・シルフィードの詩人も合うと思いますが、それじゃ当たり前すぎてつまらないので、演じるならペトルーシュカでしょうね。

それにしても、中村版「火の鳥」を新年のガラに持ってくるなんて、挑戦的だなぁというのが今回の一番の感想です。

ニューイヤー・バレエ(@新国立劇場)

新国立劇場の「ニューイヤー・バレエ」(1/12、1/13)を観てきました。

個人的には楽しみましたが、「火の鳥」といい、「ペトルーシュカ」といい、新年のっけからめでたさがまったくない・・・。以前3月頃に中劇場でやっていたトリプル・ビルとして上演する方が相応しかったのではと思いますが、トリプル・ビルの枠が無くなってしまったようなのでニューイヤー・バレエでやるしかないのかもしれません。

さて、最初の演目は「レ・シルフィード」です。

10年に一度位の頻度でしか観ない演目だったのに、12月のマリインスキー劇場バレエの来日公演で2回、今回のニューイヤー・バレエで2回。1か月ちょっとの間に4回も観るなんて、どうしたことか!

12日はメインのシルフィードが小野さん、詩人が井澤君。小野さんはふわっと軽やか、重力を感じさせません。そして井澤君もアントルラッセが軽い。

(この詩人の軽やかさはシルフィード達につられてのものなのか。いや、もしかしたら詩人は生身の身体でシルフィード達と戯れているのではなく、精神だけがシルフィード達の元に飛んできているゆえ、軽やかなのか。)などと感じました。

小野さん・井澤君のペアを観ることはあまりありませんが、この組み合わせも安定感があって悪くありませんでした。ですが、井澤君の高身長は、長身の女性ダンサーと組まないともったいない気がします。

13日はメインは木村さん、渡邊君です。このペアは、シルフィードと詩人は恋人同士という設定に見えます。寄り添う姿に愛を感じる。

この日は上の方の階から観ていたので、コールドのシルフィード達のフォーメーションがよく見えました。左右対称に展開して、美しい。舞台上に描くフォーメーションをじっくり観られるのは上の階ならでは。こんな形を描いていたのか、と存分に楽しみました。新国立劇場バレエのコールドは本当に質が高いと感嘆。

両日同じ役を演じた寺田さんは調子が良さそうだったし、細田さんはポールドブラが優雅でした。

休憩挟んで、2演目めは中村恩恵さんが新たに振り付けた意欲作、「火の鳥」です。

この作品、フォーキンの火の鳥の世界観とは全く違います。事前に物語の設定が書かれたあらすじを読んでいないと、「???」になると思います。あらすじを読んでいても、何を表現しているのか観ていて分からない部分がありましたから。

あらすじによると、主な登場人物は火の鳥、独裁者の王の息子(王子)、反乱軍のリーダー、政治批判をしたかどにより処刑された王の元側近である人物の娘。王子は父王の権力をさらに絶対的なものにするため、一方反乱軍は王を倒すため、それぞれ火の鳥の羽根を入手しようとしているという設定です。

舞台の中央にショートカットで着の身着のまま、はた目からは性別も定かでないような娘(12日は米沢さん、13日は五月女さん)が一人うずくまっているところから始まります。家族も家も失い一人ぼっちになった娘は、生きる気力もなさそうです。そんな娘を見つけた反乱軍のリーダー(福岡君)が、行き場のない娘を男装させて、反乱軍に迎え入れます。リーダーは力強さだけでなく、包容力もある。

一方で火の鳥を探し、見つけた王子(井澤君)。火の鳥は木下君。赤い羽のついたガウン状の衣装に、ヒールの高さが20㎝という赤いハイヒールを履いています。

この王子と火の鳥が相対する場面が何とも妖しい・・・。

フォーキン版火の鳥は、やんちゃな王子が火の鳥を捕まえます。そして逃してもらいたい火の鳥が、交換条件として自らの羽根を王子に差し出すというもの。

対して恩恵さん版は、火の鳥は王子に捕まりません。王子の方が火の鳥に幻惑され虜になっています。そして優位に立っている火の鳥の方から、何の交換条件もなしに羽根を王子に渡します。中性である(と思われる)火の鳥の、雌の部分が王子に興味を示して反応したということでしょうか。火の鳥を演じている木下君が男性なので、女性性を出して王子に迫る(?)場面が、妖しさいっぱいです。この場面、女性ダンサーが火の鳥を演じても普通で面白くなさそうなので、男性ダンサーが演じて正解。

王子が火の鳥を羽根を手に入れたことを知った反乱軍。リーダーに救われた娘も、反乱軍の一人として加わっています。反乱軍の一人一人に設定があるそうですが、舞台を観た感じでは分かりません。王子が手に入れた羽根について善後策を講じた結果、反乱軍は女装をして羽根を奪うことに。襟元に巻いていた赤いスカーフをまちこ巻きのように巻き、クネっとしたポーズをして女装完成です。ここは、フォーキン版では捕らわれの乙女たちがリンゴを転がして遊んでいる場面の音楽が使用されていました。どことなくコミカルな音楽なので、反乱軍が女装して女性らしいポーズの研究をしているコミカルな場面と合っています。反乱軍と共に踊る五月女さんの身体能力が高い。五月女さんの方が米沢さんより少年っぽさを感じました。

反乱軍の思惑など知らない王子は、帰路で女性の一群(女装した反乱軍)に遭遇します。そして男装してさらに女装した(つまり本来の性に戻った)娘に目を止めます。うまく王子を騙して羽根を奪って来いとでも言うように、反乱軍の仲間から王子の前に突き出される娘。娘は最初乗り気ではなく、王子が娘に興味を示すと手で遮り、顔を伏せます。しかし徐々に本来の姿を解放するかのように、踊りが柔らかく滑らかでのびやかになっていきます。その結果、見事、娘は王子から羽根を奪うことに成功。といってもずる賢く、王子を騙して手に入れるという感じではありません。

つづく。

 

高尾の冬の風物詩

さむーい新年に高尾山に行ってきました。

目的は高尾の冬の風物詩を見るためです。高尾の冬の風物詩、それはシモバシラ氷の花。

12月に高尾山に行ったときは暖かな日だったので、見られませんでした。残念・・・。しかし今回はとても寒い日だったので、バッチリ!まだ小さな氷の花が多かったですが、数も多く、去年より色々な場所で見ることが出来ました。高尾は氷の花、いっぱい。

京王線高尾山口駅に到着したのは朝の7時。朝早いので閑散としているかと思いきや、お正月だからか、思ったより高尾山に向かう人がいました。その数30人は超えていたはず。

まず最初の氷の花スポットは稲荷山コースの登り始め。実はどこら辺にあるのか知らないのです。秋にシモバシラの花を見たのはここら辺だったかとあたりをつけて、キョロキョロしながら登山道を登っていきますが、見当たりません。この日の稲荷山コースの氷の花は不発だったようです。(下山時に会った人にも見られなかったといってました。)氷の花は見られませんでしたが、冬のやわらかな日が差す稲荷山コースは暖かで気持ちが良い。冬におすすめのコースです。

稲荷山コースを登って山頂は巻き、5号路からもみじ台の巻き道に行きます。もみじ台巻き道は氷の花が群生(?)しているスポットです。この日も巻き道をしばらく行くと、人だかり(といっても4~5人ぐらい)が出来ているのが見えてきました。

(あ、きっと氷の花があるんだ!)と思って近づいていくと、ありましたよ、小さな氷の花がたくさん。ざっと数えても20はありました。主にもみじ台側の斜面に見られるのですが、登山道の反対側、杉林側にもチラホラと氷の花がありました。

もみじ台巻き道をさらに行くと、氷の花が点在しています。

去年はこの先にもう大きめの氷の花が見られたはずと、ずんずん進んでいきます。そうするとありました。高さ8~10センチくらいの氷の花。シモバシラの枯れかかった茎を軸にして、紡錘形っぽい形をしています。これ位の大きさがあると見栄えがします。場所はもみじ台巻き道の終わりが見えるぐらいのところ。巻き道の終わりが見え始めたら、斜面を目を皿のようにして探せば見つかります。

もみじ台巻き道が終わると、もみじ台と一丁平をつなぐ通常の登山道に合流します。今回は、もみじ台の階段と一丁平に繋がる階段の間の平坦な道にも小さな氷の花がいくつも見られました。去年はここで氷の花を見ませんでした。ここにも氷の花が出来るとは知らなかったので見逃したのか、それともまだ無かったのか分かりませんが。陽当たりが良さそうな所なので、時間帯によっては消えてしまうかもしれません。

思わぬところで氷の花を見られましたが、お次は一丁平の巻き道です。ここでも小さな氷の花が群生していました。こちらも20以上、氷の花がありました。そして10センチぐらいありそうな大きめの氷の花も。

今年は氷の花をたくさん見たと、満足して下山を開始します。下山といってもこの日は山頂は踏んでいません。帰りはもみじ台巻き道から江川杉のある5号路を進んでいきます。杉林の反対側は高尾山山頂がある斜面です。何気なく山頂側の斜面を見て歩いていると、ここでも氷の花がいくつか見られました。去年はここでは氷の花を見ませんでした。もしかして、この日は氷の花を見るには当たりの日?

5号路を進んでいくと1号路が合流しますが、そのまま5号路を行くと、3号路や6号路に合流する前に、氷の花スポットがあります。たいてい人だかりが出来ていて、この日もご夫婦の登山者がいました。そして小さな氷の花がありました。陽当たりが良さそうに見える場所ですが、氷の花ができているところはしっかり日影になっています。私が見たのは朝の9時前ですが、陽の高さが変わったら日影だった場所も陽が当たってしまうかもしれません。

もうこれで自分の知っている氷の花スポットは終わりというわけで、薬王院に向かいます。9時を過ぎているので、薬王院内は人出が賑やか。

薬王院に寄ったのは、参拝と守護矢(破魔矢)の購入のためです。昨年の守護矢は返納するため、登山中ザックのわきにつけていました。はっ、もしかして氷の花をたくさん見られたのは、この日ずっと持ち歩いていた守護矢のおかげ?

参拝は済んだし、守護矢の返納と購入も済んだので、後は下山するのみ。山門をくぐって1号路を歩いていると、参道の脇でカメラを構えているおじさんを見かけました。枯れた植物が生えているだけなのに、何を撮っているんだろうと近づくと・・・。

ドライフラワーになった植物の茎の下の方、地面から出ている数センチの部分に細く小さな氷の花ができています。茎の上部は枯れてドライフラワーになった花、茎の下部は氷の花。こういった氷の花ができる植物もあるんだ!

氷の花ができていた花の種類は、アズマヤマアザミとカシワバハグマと教わりました。自分が知らないだけで、氷の花ができる植物は結構あるのかもしれません。何も無さそうなところで写真を撮っている人を見かけたら、勇気を出して声をかけてみると未知の情報をゲットできますね。ちなみにここで教えてくれたおじさんは、稲荷山コースでもカシワバハグマの氷の花を探したとか。この日の稲荷山コースでは、氷の花は時期が早かったようで見られなかったそうです。1号路で見られたものもまだ小さいと言ってましたので、もっと大きく見られる時もあるようです。

今回は、1号路、5号路、もみじ台巻き道、もみじ台と一丁平をつなぐ登山道、一丁平巻き道といった多くの場所で氷の花を見られました。というわけで、高尾は氷の花、いっぱい。

しし鍋屋のディスプレイ

イノシシ料理屋の店外展示が、いつの間にか変わっていました。

店の名は「もゝんじや」といいます。

両国にある有名なイノシシ料理の店のようです(入店したことがないので、詳細は不明)。

この店は京葉道路に面した軒先に、店外展示でイノシシの剥製を1頭吊るしていました。

この剥製、背中の真ん中部分が少し禿げていました。背中の禿げた部分は、恐らく通行人に触られ続けた結果。ちょうど格子状になった金属製の柵から、指を入れてかろうじて触れる部分が禿げていましたから。

その剥製は、何年も同じ状態で吊るされ続けていました。きっとボロボロになるまで展示し続けるのだろうな。

と思っていたら、なんと!吊るされているイノシシの剥製が3頭に増えていました。いつの間に?

おまけに展示スペースも、なにやらリニューアルされて、きれいになっています。

以前は「とりあえず展示しておきます。でもいたずらされたら嫌だから、柵を設けて、出来るだけ触れないようにしておきます。おしゃれさやインスタ映えも不要です。」という感じでした。素っ気ない窓とコンクリートの壁の前に、無骨な感じで剥製は吊るされていました。

そんな展示スペースれが、木材を使った装飾をして江戸情緒が加わったというか、おしゃれ感がアップしています。さらに金属製の柵は取り外され、剥製と見学者を遮るものはなくなっています。ついでに、温かみのある色合いの照明でライトアップされています。インスタ映えしそう。

一体、この変化はどうしたのだろう。

よく見ると、展示スペースのそばに立て札のようなものも設置されています。読んでみると、「享保3年創業の・・・」といった感じで店の由来が説明されています。

享保3年って暴れん坊将軍の時代か・・・と思いながら読んでいると、立て札の最後に「墨田区」という記載が。

どうやら墨田区の肝入り(?)で、区内の観光名所になっているようです。すぐそばの回向院にも同じような立て札がありました。観光名所としてプッシュするには、以前の状態では弱かったのかもしれません。なにしろ1頭の剥製が金属の柵の中で、まるで牢屋の中に吊るされているように見えましたから。

ちょうど亥年を迎えるし、ディスプレイを変えるにはちょうどいいタイミングということもあったのかもしれません。通行人が触り放題な状態で展示されているのが、大丈夫かなと余計な心配をしてしまいますが。

というわけで、亥年あけましておめでとうございます。

12/21くるみ割り人形(@新国立劇場)

12/21新国立劇場くるみ割り人形を観てきたので、主役の2人について簡単にメモ。

この日のクララ役は木村さん。

1幕の夢の中でねずみたちとの戦いの場が始まる前に、木村さんは初めて舞台に登場します。

木村さんは登場した瞬間、戸惑った子供の表情をしている!見知った自分の家のはずが、どことなく変で、どこか不思議なところに迷い込んでしまったといった戸惑った顔です。夢の中でも、最初は現実の子供の姿のままということが、木村さんの表情の作り方から分かります。

ねずみたちとの戦いを経て、くるみ割り人形の傷ついた姿に泣きじゃくる時の姿も、まだ子供。

そしてドロッセルマイヤーの甥に変身したくるみ割り人形とパ・ド・ドゥを踊るときは、乙女の顔をしている!あどけなさを残す子供の顔ではなくなっていました。

一方、相手役のドロッセルマイヤーの甥役は渡邊君です。士官学校の制服(?)らしき衣装がとても似合っています。この衣装は長身細身のダンサーに似合うようです。いつものようにジャンプは高く、爽快な踊りを披露。

さて、2幕のグラン・パ・ド・ドゥ。

木村さんのこんぺい糖の精はキラキラ。衣装もティアラもネックレスもキラキラして照明もカッと明るいので輝いて見えるのは当然ということではなく、存在自体がキラキラしています。1幕のねずみとの戦いやパ・ド・ドゥ、2幕のお菓子の国に到着したばかりのクララとは違う。現実離れした美しさが光を放ち、クララとは全く存在感や雰囲気が違います。手足も長くて、絵になります。(イーグリング版も2幕はお菓子の国という設定だったのに、今気づきました。あやしい雰囲気のアラビアの踊りや蝶々という謎の存在から、お菓子の国ではなく、どこかの異世界の設定なのかと思ってましたよ・・・)

木村さんのきらびやかさは置いといて、この日の一番のポイントは、木村・渡邊ペアの進化です。リフトもサポートも一段とスムーズになっていました。

イーグリング版は女性ダンサーが男性ダンサーの方に飛び込み、サッと男性がリフトする振付があり、全体的に難易度が高め。タイミングが合わないとパ・ド・ドゥが台無しになってしまうような振付が多いです。そんな振付を踊りの勢いを殺さず、あくまで優雅に何でもないことのように踊り続ける2人。

以前の舞台鑑賞時に、木村さんの背の高さは、渡邊君がリフトやサポートをするには少し高いのか、もう少し背が低いダンサーとの方が良いのかもしれないと思ったものです。が、2人は進化していて、その懸念は払しょくされました。渡邊君は新国立劇場バレエでは長身に分類されるダンサーですが、自身が長身でも、長身の女性ダンサーをサポートするのは大変なはず。(以前ゼレンスキーがインタビューで、長身女性ダンサー(ロパートキナ)をサポートするのは大変だと言っていた。)木村・渡邊ペアは、どんな過程を踏まえて、難易度の高い振付をこともなげな雰囲気で披露できるようになっていったのでしょうか。興味がわいてきます。

こんな感じで12/21の舞台鑑賞メモは終わりです。

トータルとしての完成度の高さの小野・福岡ペアも良いし、進化し続ける木村・渡邊ペアは益々見逃せなくなってきそうです。一つだけ観るならどのペアがいいか、選ぶのが難しくなってきました。

 

くるみ割り人形(@新国立劇場)

新国立劇場バレエのくるみ割り人形初日を観てきました。

再演のイーグリング版くるみ割り人形、ということで簡単にメモ。

簡単な感想は、雪の結晶の群舞きれい!と小野さんは今回も音楽性豊か、です。

くるみ割り人形は子役ダンサーが通常の公演より多く出演します。ということで、父兄なのかか友人知人一家なのか、そして子供も楽しめる演目ということもあり、客席も子供が多い。といっても、ガヤガヤと煩いわけではないので良いですね。なにより客席が満員に近いと、何となく観客の期待感みたいなものが高まって、公演が盛り上がる感じがするし。

さて肝心の公演。冒頭にも書きましたが、雪の結晶の群舞がきれいできれいで、観ていて震えます。

ゆるやかに回転するダンサーが、パウダースノーのような雪の結晶ひとつひとつが音もなく舞いながら地上に降ってくるように見えます。ダンサーたちが集団で交差しながらグランジュテを続けるところは、壮観です。なにより、スタイルの良い人ばかりのダンサーが、揃えに揃えて踊るさまは、見ごたえがあります。観ていて1幕でテンションがあがるのは、この雪の結晶の群舞とその前のクララとくるみ割り人形のパ・ド・ドゥです。

遡って、1幕のねずみたちと兵士たちの戦い。期待のダンサー、騎兵隊長役の速水君がいい。軸が曲がってしまっても、最後はピタッときれいに終わらせることが出来る。

騎兵隊長が目を引く動きを見せる一方、ねずみと兵士たちの戦い自体は最終的にはねずみたちの勝利。前回同様、くるみ割り人形側の最終兵器の大砲が出てきますが、飛距離10数センチ。飛んだというより、発射してすぐ落ちたという感じのショボさです。そりゃ負けるよ。そして兵士たちが捕虜になって舞台から退場。

傷つき倒れたくるみ割り人形のそばで悲しむクララ。ドロッセルマイヤーの魔法でくるみ割り人形がクララの憧れの男性(ドロッセルマイヤーの甥)に変身し、クララとパ・ド・ドゥを踊りだします。穏やかな金管の音色が、ロマンチックな場面を彩ります。(金管が音を外さなくて良かった!)

ここの部分、音楽もパ・ド・ドゥもきれいで胸がいっぱいになるのですが、パ・ド・ドゥの始まりと前の場面とのつながりが困るのです。というのは、観ているわたしは、パ・ド・ドゥの始まり部分では、まだひとつ前のお笑い場面(捕虜になって舞台を退場する兵士たち)を引きずっています。せっかく好きな場面なのに、のっけはお笑い場面の余韻(?)で、すぐにロマンチックなパ・ド・ドゥの世界に入れない。近くの席の人たちは笑っていいい場面でも生真面目に鑑賞しているので、もっと感情をあらわにしても良いいのにと思いますが、舞台を楽しみ過ぎると次のシーンに乗り遅れることもある・・・。

2幕のディベルティスマン。アラビアの踊りは本島さん。本島美和と仲間たちという感じで、本島さんが紅一点で数名の男性ダンサーが恭しく従う。ハートの女王といい、カラボスといい、雰囲気作りがうまくて、男性ダンサーを従える姿がサマになります。

中国の踊りの奥田さん。技術がしっかりしていて、はじけてて、可愛い。

ロシアの踊りは数名の女性陣の中に、黒一点の福田(兄)君。手始めはアクロバットな側宙(正式名称知りません。)。その後も高度な技術を見せて、舞台を盛り上げていました。改めて、福田君の運動神経の良さが分かる踊り。

蝶々は細田さん。細田さんは踊りがきれいなだけではなく、運動神経が相当良さそうな気がします。ピルエットの軸が細くて、キュルルッと回る。

群舞の花のワルツはやはり楽しい。ワルツは音を聞いているだけでワクワクしてきます。照明がカッと明るくないのが少々寂し気な雰囲気ですが、次々と繰り広げられる群舞が楽しい世界に誘う。飯野さんは好きなタイプの踊り方をするダンサーなので、花のワルツのソリストで見れて嬉しい。

トリはこんぺい糖の精と王子のグランパ・ド・ドゥです。こんぺい糖の精は小野さん、王子は福岡君。

アダージョは息の合った踊りを見せる。顔や身体の向き、腕の上げ方のユニゾン。安全を重視した無難な踊りではなく、絶妙のタイミングでスムーズにリフトし、二人の世界を作っていきます。

福岡君の男性ヴァリエーションは、自分のテクニックを誇示するのではない、嫌みが無くて品が良く、美しい踊り。マネージュは若々しく元気に廻る。

小野さんの女性ヴァリエーションは、音楽性豊か。音に踊りを合わせているというより、小野さんが音を奏でているかのようです。どうやったらここまで音楽性豊かに踊れるのだろうか。うっとりと観てしまいます。

コーダは二人で盛り上げて。早いテンポでも息の合った踊りを見せる。観ているこちらは満足度がさらに高まってきて、夢の国に連れて行ってもらいました。

ですが、幸せな気分になってくる半面、ダンサーはいくつになっても踊り続けていられるわけではないので、いつまで二人の踊りを観ていられるだろうかという思いも。

こんな感じで、今回のくるみ割り人形初日鑑賞日記は終わりです。

 

 

 

白鳥の湖(@東京文化会館)

12/8ソワレのマリインスキーバレエの白鳥の湖のメモ。

簡単な感想は、「メイちゃん良いじゃないか!」と白鳥の湖はロシア人ダンサーの十八番。

当初の予定ではスコーリクがオデット・オディール役に予定されていましたが、バレエ団来日前から主役はエカテリーナ・オスモールキナに変更。主役が変更してもチケットの払い戻しはないので、若干気落ちしながら東京文化会館に到着しました。

ですが、会場に着くと華やいでいて、何となくわくわくします。この日は会場には舞台鑑賞が趣味という感じではなさそうな背広姿の男性陣が何人もいました。証券会社が協賛しているので、その関係者のよう。証券会社から招待されたっぽい人たちも結構いたようです。

さて肝心の舞台の方は、永久メイさんが王子の友人たち(パ・ド・トロワ)にキャスティングされています。今回はどうかなと思っていると、メイちゃん良いじゃないか!

かわいくて生き生きと踊り、テクニックも不足が無い。パ・ド・トロワは「白鳥の湖」の序盤を盛り上げる場面なので、ここが尻切れトンボ的になってしまうと、その後の鑑賞のエンジンが上がっていかない。メイちゃんたちが多いに盛り上げてくれたので、「今日の舞台は良さそうだぞ」と会場の温度も上がってきました。この日の出来が本来の永久メイさんの力量だと思うので、「海賊」のときはかなり緊張していたんですね。

2幕になると観客が待ちに待ったオデットの出番です。湖の湖面をスーッと泳いでいく白鳥たちの最後に、頭に冠をのせた白鳥が現れ、舞台の袖に消えていくと、陸に上がり白鳥から人間の姿に変わる最中のオデットが登場します。

逃げつつも王子に興味を持つオデットに、追うジークフリート王子。そこに次々に白鳥たちが加わり、バレエ・ブランの世界が繰り広げられる。

ロシア人ダンサーは手足が細く長く、長い腕が白鳥の翼を表現するのに適している。プロポーションの良いダンサー勢ぞろいのコール・ドは細かく見ればそろっていない部分もあるのでしょうが、そんなことは気にならないくらい美しい。自分たちの伝統芸能の十八番を見せている自信、白鳥の湖をロシア人ダンサー以上に美しく踊れるダンサーはいないという確信のようなものが舞台上のダンサーたちから伝わってきます。

オスモールキナのオデットは繊細、憂い顔で幻のようで、男性が庇護欲を掻き立てられる感じ。

それが3幕のオディールでは大胆で開放的な女性を演じる。オデットとオディールではどちらかというとオデットの方が得意なような感じを受けましたが、かといってオディールに向いていないわけではない。バランスのいいダンサーですね。3幕の終盤でオディールがオデットでないことが判明したときの王子をあざ笑う顔は、うまく騙しおおせて可笑しくてしかたがない悪女の顔でした。

王子役のザンダー・パリッシュは前回の来日公演時に「見た目は良いのにね・・・(ため息)」だったのですが、前より良かったような気がします(あんまり注目して観ていない)。

ところで3幕の冒頭、王子の花嫁候補が王子と次々と踊り、王子の気を引こうとしますが、花嫁候補は皆同じ衣装です。以前の新国立劇場バレエもマリインスキー版の白鳥の湖を上演していたので、その当時は今の牧版と違って花嫁候補は全員同じ衣装でした。主要な役ではないし、全体の調和を考えて同じ衣装にしているのかと思っていましたが、「オデットに夢中で他の姫が目に入らない王子には、どの姫も同じに見える」という王子の心象風景を表現している部分もあるのかもと今更ながら思いました。

3幕は、ロットバルトのマントの翻し方がカッコいい。アンドレイ・エルマコフ演ずるロットバルトの表は黒、裏は赤のマントの翻し方がバリエーションがあって、毎度同じではない。マントの片側だけをバッと翻したり、両側を同時に翻してマントの下部の真ん中が左右対称にたわんだようにめくれたり。演出効果の高いマントの翻し方が教師や先輩ダンサーから伝授されているのでしょうか?

そして1、3幕ともに、道化役のダンサーの踊りが素晴らしかった。体つきがスッキリしていて筋肉が目立つタイプの脚ではないけれど、技術はかなりしっかりしていて跳んでも回転しても客席を沸かせました。良いダンサーだと思いましが、誰だったのかよく分かりません。当日入り口でもらったキャスト表には「ヤロフラフ・バイボルディン」と記載されてましたが、ジャパンアーツのサイトを見ると、キャスト表から変更があるとのことで「ラマンベク・ベイシェナリエフ」とあるものの、道化:バイボルディンの名を取り消し線で消してその横に「ウラディスラフ・シュラコフ」と記載されています。一体誰だったんだ?

4幕は静かな湖畔に佇む白鳥たちの群れに、風雲急を告げるような音楽とともに、王子に裏切られて心が千々に乱れたオデットが駆け込んでくる。傷心のオデットは弱々しい。

悔恨の王子がようやくオデットを見つけ、愛を再確認する。身を寄せ合うオデットと王子ですが、フルートの音が流れるとオデットがアラベスクのポーズで後ずさって王子から離れていく。そしてその音を振り切るようにオデットがピケターンで王子の元に戻っていく。この部分ってピロロロロロというフルートの音は悪魔の魔法を表現しているのでしょうか?悪魔の魔法で一旦王子から引き離されたものの、オデットの強い愛で悪魔の魔法を振り切って、再び王子の元に戻っていくという場面設定?

悪魔ロットバルトが登場して、魔力で傷心のオデットは瀕死の状態に。ここで王子が男を見せて、愛に力を得て悪魔ロットバルトを倒します。悪魔の呪いが解けて、王子がオデットを助け起こし、立ち上がるオデット。王子がオデットに「ほらご覧、もう悪魔に悩まされることはないよ」とでも言うように悪魔の亡骸を見せると、初めてオデットは笑顔を見せます。憂い顔から、夜明けとともに明るい表情になったオデット。オデットと王子の幸せそうな姿で幕が下りて、「白鳥の湖」は終わりです。