ニューイヤー・バレエ②

つづき。

帰路の途中でちょっと気になった可愛い子(娘)にちょっかいを出して、大事な火の鳥の羽根を奪われてしまう王子。娘と触れ合っている間は、羽根を奪われたことに気付きません。

火の鳥の羽根で父王の権力を強化しようとしているけれど、どう使うか明確なビジョンは持っていないように見えます。切実さのない王子だから、寄り道して簡単に羽根を取られてしまうのかも。火の鳥から羽根をもらう冒険はしても、王子の描く未来の世界は、今まで自分が歩んできた延長線上にあるようです。単純な人間で肩肘張っておらず、無理もしていません。ですが、そんな王子だから、娘の心の奥底に眠っていた女性性を呼び起こすことができたのでは?

娘から火の鳥の羽根を渡された反乱軍のリーダー。勝ち誇った表情を浮かべ、パッと羽根を掲げます。羽根を奪われたことに気付き、驚愕する王子。こういう間抜けな王子役が、井澤君、上手い。美形だから、滑稽には見えないし。

対して反乱軍リーダー役の福岡君は、クラシックの王子役で見せるノーブルさは皆無です。踊りはキレキレで、生き生きとしています。舞台の奥に向かってただ歩く後ろ姿にも存在感があります。反乱軍の一群と行動するときは、内に秘めた強さと統率力を感じさせます。踊りも良かったですが、存在感・演技力でも魅せていたので、ロミオとジュリエットのティボルトも合いそうだな、とぼんやり感じました。

反乱軍の召喚に応じて出現する火の鳥。旧来の世界を破壊し、新たな世界を創造しようとしている反乱軍と共にある火の鳥は、王子と邂逅した時のような妖しげな雰囲気はありません。暴力を是とし、力強さを感じさせる男性性を発していました。

羽根を取り返そうとする王子に、仲間を裏切り王子に協力しようとする娘。娘の裏切りに激高した反乱軍。反乱軍が娘を責め立てる中で、娘が少年ではなく女性であることが明らかにされてしまいます。

暴力が支配するさなかに、激高したテストステロン多めの反乱軍の男どもと、か弱い娘一人。後はまぁ、お分かりですよね、こういう場面で女性がどんな目にあうか・・・。どぎつい表現方法ではありませんでしたし、ストーリーの展開上しょうがないこととはいえ、新年からこんな場面観たくない・・・。

獣のように娘に襲い掛かる反乱軍の男どもに対して、リーダーは助けようとも制止しようともしません。このシーンで、王子やリーダー、火の鳥は何していたんだっけ?舞台からはけていたような気がします、うろ覚えですが。

もっと前の場面でリーダーに反発して独自の行動をとっていた反乱軍の一員もいたので、リーダーが制止したところで反乱軍の男性陣の娘への暴力は止めようがなかったかもしれません。そしてリーダーは、きれいごとだけじゃない、濁ったものも併せ呑む人物のようにも見えますし。

混乱の中ですべてが焼き尽くされ、舞台上に残ったのはボロボロになった娘と、火の鳥の死骸。あらすじによると、娘は自分の中に新たな命が宿ったことを悟る、とあります。そして死から蘇った(?)火の鳥が、娘に近づいていきます。

新生した火の鳥は、女性性も男性性も、善も悪もない、ニュートラルな状態になっています。娘に近づいても、娘の中の新たな命の萌芽を祝福するわけではない。ただ、火の鳥との接触で、新たな命がしっかり娘の中に根付いたかもしれません。

火の鳥は舞台奥に向かって、客席に背を向けて去っていき、そして舞台には娘が一人立ち尽くします。この時の12日の米沢さん、13日の五月女さん共に、表情が読み取りにくい。激しい暴力の末に傷ついた心と身体で嘆き悲しんでいるようでもないし、お腹の子とこれから強くたくましく生きていこうといった決意も感じられないし、希望を見出しているようにも見えませんでした。あの表情は何を表していたのだろう?あるがままを受け入れていくといった感じでしょうか?

最後の場面で、長い布(旗でもないし、横断幕でもない)をなびかせて、死んだはずの人々が舞台上を駆け回る演出は、何を示唆していたのでしょうか?

最後に?を残して中村恩恵さん版「火の鳥」は幕を下ろしました。観ていて分からない部分はありましたが、ストラヴィンスキーの音楽に触発されて、フォーキンの火の鳥とは全く違った世界を構築するのは、一言「すごいな」です。ただ日本のお正月には向いてない内容かも。

3演目めはフォーキンの「ペトルーシュカ」です。これもあまり観ない演目で、観るのは久しぶりです。直近で観たのは、東京バレエ団でローラン・イレールが主演した舞台だったでしょうか。この演目も、最後は物悲しくて、めでたさはありません。

カーニヴァルの日、見世物小屋の幕が開き、見世物小屋の親方の笛で、人形3体(ペトルーシュカバレリーナムーア人)が踊りだします。

最初は両脇の下の補助棒に身体を預けた格好で、脚だけの素早い動き。バレリーナ人形役の池田さんが可愛く、細かい脚の動きと音の合わせ方が見事でした。ムーア人人形(中家君)はどっしりと、力強く脚を動かします。ムーア人の顔の色が、黒(こげ茶)ではなく、褐色になっていたのが驚き。時代の変化に合わせて、差別や侮辱にならないように変えているのでしょうか。

この2体のテキパキした踊りと比べて、奥村君演じる人形ペトルーシュカは、脚はしっかり動かしているのですが、上体が右へ左へふらふらと動いています。バレリーナムーア人は上体がしっかりと微動だにしません。この3体の並びだけ見ても、ペトルーシュカは異質なことが分かります。ペトルーシュカだけ芯が通っていない感じです。

補助棒から解き放たれ、広場で踊りだす3体。バレリーナはやはり可愛く、ムーア人は力強い。ペトルーシュカは、ぎこちない踊りで、膝が曲がり、上体は背中を丸くして前方に傾け、腕は前にだらーん。弱そう・・・。ペトルーシュカは、バレエの登場人物(?)上、最弱のキャラクターかもしれません。「ドラえもん」ののび太君でさえ、ペトルーシュカには勝てるはず。

そんなペトルーシュカは、人形なのに心を持ってしまい、バレリーナ人形に恋をします。切ない恋心を訴えても、バレリーナは力強そうなムーア人が気になり、ペトルーシュカには興味を示しません。

筋肉バカ(?)風のムーア人は、バレリーナを追い掛け回すペトルーシュカを追い払おうとします。ムーア人の暴力から逃げようと広場に出てきたペトルーシュカムーア人はなおも執拗に追いかけ、刀でペトルーシュカを斬りつけます。凄惨な出来事に広場の人々はざわめき、斬りつけられたペトルーシュカの屍を囲むように事態を見守っています。そんな人々をかき分け、「心配ないよ。」とでも言うように、ペトルーシュカを持ち上げ人形であることを周囲の人々に示す見世物小屋の親方。安心した人々は三々五々帰っていきます。

最後に屋根からペトルーシュカの亡霊が飛び出し、ムーア人の非を訴える姿に、親方が恐れおののく。「ペトルーシュカ」はこんな感じで終わります。

奥村君、池田さん、中家君の人形ぶりが 良い。池田さんは人形役に徹しようと、できるだけまばたきをしないようにしていたように見えました。中家君も、深いことは考えない単細胞人形を演じきっていたし。人形模様の合間の広場の人々の踊りも楽しい。「くるみ割り人形」でも目を引いた速水君(悪魔の仮装という役柄。小汚い馬の扮装かと思ってましたが、違った・・・)は、今回も踊り終わりをピタッとしめるダンスを披露。

そして主役のペトルーシュカの奥村君。ぐんにゃりとして、芯が通っていない。自分の筋力で動かしているというより、魔法で動いている感じがします。振り子運動のようにぶらんぶらんと動き続け、腕は上げても、重力ですぐにパタンと下がります。上体はだらんとしていますが、足元を見ると意外に高くジャンプしていたりします。全身がだれているように見せかけて、身体のパーツごとに細かくコントロールしているようです。スッとした立ち姿で踊っているより実はハードで、難しそうです。表現面でもどうしようもない哀れさや物悲しさが伝わってきました。

火の鳥を演じた木下君といい、ペトルーシュカを演じた奥村君といい、不思議の国のアリスで白ウサギを演じた2人は、今回挑戦しがいのある役が配役されていました。2人とも今回の公演で、他のどの役に配役されるのが相応しいかと考えると、それぞれが演じたもの以外ないという気がします。奥村君はレ・シルフィードの詩人も合うと思いますが、それじゃ当たり前すぎてつまらないので、演じるならペトルーシュカでしょうね。

それにしても、中村版「火の鳥」を新年のガラに持ってくるなんて、挑戦的だなぁというのが今回の一番の感想です。