またジゼル

6/30も新国立劇場でジゼルを鑑賞しました。

今回のジゼルは小野絢子さん、相手役のアルベルトは福岡雄大君。

このお二人、前回(2013年)の新国立劇場ジゼル公演時はバーミンガム・ロイヤルバレエ団のアラジンに客演していた関係でキャスティングされておらず、今回が新国立劇場でジゼル初お披露目です。

主演の小野さんはいつも質の高い舞台を見せてくれて、個人的にはここ数年、今見るべきダンサーに位置付けられています。テクニックが強いというより、なにかニュアンスがある踊りと音楽が聞こえてくるようなステップが魅力だと思っています。なので開演前から期待が高まります。

結論から言うと、やはり素晴らしかったです。

小野さんと福岡君はいくつもの舞台でペアを組んでいるため、サポートもリフトもスムーズ。息の合った二人の世界を堪能しました。

小野ジゼルは登場した瞬間から可愛らしく、瑞々しい。小鹿が跳ねているようでした。姫役の時の強い主役オーラとは違う、素朴な可愛さが漂っていました。

一方の福岡アルベルトは大人っぽい。ジゼルが森番ハンスに言い寄られた時、ジゼルが嫌がる素振りを見せるまでは静かに事態を見守り、一旦ジゼルが嫌がる素振りを見せたらサッと二人の間に入り、ジゼルを守る姿勢を見せる。佇まいも所作も、村人とは違う雰囲気を持っています。一時のダンサー生命に影響しかねない体型から持ち直して、動きやすそうなのも良かった。体重増は怪我の増加にも繋がるので心配してました。

米沢・井澤組の公演と同様、今回も気になるのは、アルベルトが身分がばれそうになる、そしてばれた時にどう振舞うかという点です。

菅野ハンスに身分をばらされた福岡アルベルトは落ち着いた感じで笑顔を見せつつ、小野ジゼルにハンスの言を信じないよう話します。遊び人っぽくは見えません。(ついでにいうと、菅野さんは演技力のあるダンサーだなあ。粗野な中にもジゼルへの抑えがたい恋心と報われない苦しさが滲んでいます。)

同じ場面で井澤アルベルトも笑顔で米沢ジゼルに話しかけ、話しかけ方が遊び人の言い訳っぽく見えたのですが、両者の違いは?派手顔のイケメンである井澤アルベルトは、その容姿ゆえに遊び人っぽく見えてしまうのかもしれないな。

遊び人っぽくは見えない福岡アルベルトですが、剣をはずし貴族らしからぬ軽装でいる姿をクールランド公爵に見とがめられた時のとぼけ方が白々しくアホっぽくて、本当は悪い男なのでは?という疑惑を抱かせます。

さて、狂乱の場。小野ジゼルは正気だけど、悲しみと信じたなくて混乱しているように見えました。悲しい、信じたくないという気持ちが伝わってきます。

深い悲しみがジゼルの心臓を傷めつけ、酸素供給が少なくなって意識障害になり、最終的に事切れてしまった、と思わせる演技でした。

従者に制止されてもジゼルに駆け寄ろうと必死の形相の福岡アルベルトは、本当にジゼルを愛していたように見えました。取り澄ました貴公子の顔が完全に消えちゃって。

一幕の楽しい村祭りから狂乱の場への暗転、二幕ではバレエ・ブランを楽しめるのが「ジゼル」という作品。

二幕で最初に登場するのはミルタ役の細田さん。スタイルの良い新国立劇場バレエ団のダンサーの中でひときわスレンダーで透明感の漂うダンサーですが、冷たく硬質な怖さとウィリのリーダーとしての存在感がありました。ウィリ集団のアラベスクでの交差場面が終わると、真ん中を割ってグランジュテで飛び出してくる場面ではハッとさせられました。

さて、小野ジゼルはどうだったか。正直、小野さんは特にテクニックが強いという印象はない(小野さんすみません・・・)ので、ウィリとしての登場場面はどうだろう、と密かに心配していました。が、杞憂だったようで、空気抵抗を感じさせない速い回転、風に乗っているようなジャンプで、心配を払拭してくれました。その後も小野ジゼルは福岡アルベルトとのパドドゥやソロの踊りが軽い。

そして小野ジゼルは、福岡アルベルトを優しく守り抜く。一幕では守られる存在だったジゼルが、二幕ではアルベルトを優しく包み込み、守る存在になっている。

アルベルトのことは全身全霊をもって守り抜きますが、アルベルト以外の男性にウィリの一員として対したときは、どうなるんだろうか。他のウィリ達と同様、眉ひとつ動かさず非情に振舞うんだろうかと思ったりもしました。

ミルタに命じられて踊り続ける福岡アルベルト。いつまで続くんだと固唾をのんで見守るほど、細かく速いアントルシャが続きました。あれだけアントルシャを続けて、その後ブリゼも続けるのだから相当疲れると思うのですが、苦しそうな表情や踊りはあくまで演技。苦しい演技にかこつけて素の疲れを踊りの中で見せてしまうと、そのあとの踊りももっさりと重くなってしまう、はず。

散々踊らされてもうこれまで、というところで夜明けの鐘がなり、ミルタ率いるウィリ集団は去っていき、舞台には小野ジゼルと福岡アルベルトが残されます。力尽きて倒れこむアルベルトの片腕を胸に抱く小野ジゼルの安堵感や達成感、迫りくる別れの哀しみなど様々な感情を湛えた表情が美しい。

墓に消えていくジゼルの片手を手に取り、慈しみをもって頬に添え続ける福岡アルベルト。ジゼルが消えてもそのままの状態が長く続きます。ジゼルが去って行っても気づかないアルベルトの状態に、ウィリのジゼルは実体のない存在で、実際に触れあっていたわけではないのだと改めて気づかされます。

それにしても福岡アルベルトが片膝ついてジゼルの手を取っているかのようなポーズが長い。もしかして、一晩踊らされ続けた疲れや生き残った安堵から、そのまま寝落ちしたという表現か?そうだとすると、目覚めて今までのことが夢かうつつか判然としないところを、ジゼルが残した一輪のユリの花に気づき、やはり現実のことだったのだと改めてジゼルへの愛しさを溢れさせて一人たたずむラストなのだろうか。

いやいや、それは考えすぎで、あのポーズの長さはジゼルと離れがたい気持ち表現したもの?ジゼルの存在が既に消えていることに気づき、残されたのユリの花でジゼルの深い愛を思い出し、ジゼルへの 愛しさが溢れて一人たたずむラストだったのだろうか。