分からない・・・

ル・グラン・ガラ2018(1/12@東急シアターオーブ)を観ました。コンテンポラリーはよく分からないのに、勢いで取ってしまったチケット。なぜ買ってしまったのか・・・。

一幕目はオニール八菜さん、ジェルマン・ルーヴェ、ユーゴ・マルシャンによる「ヴェーゼンドンク歌曲」。プログラムを買わなかったし、事前にどのような演目か調べもしなかったので、やはり良く分からない・・・。観ていて浮かんできたイメージは、瀕死の白鳥の新装版。八菜さんが傷ついた白鳥、ルーヴェとマルシャンも鳥っぽいけれど白鳥ではない。傷つき、死による苦痛の解放を選んだ白鳥は、死後の世界を訪れるけれど、そこにあったのは無。肉体を失い、魂も空しくなり、白鳥のすべては失われる。

こんなイメージを思い描いたけれど、振付家の意図と違うと思います。なぜなら帰宅後「ヴェーゼンドンク歌曲集」をウィキで検索してみると、1曲目のタイトルが「天使」。八菜さんの役どころは白鳥ではなく、天使ということだったようです。

ではルーヴェとマルシャンの役どころは?白鳥ではない大きな鳥、例えば鷲のようなものに見えましたが、彼らも天使だったということでしょうか。

ルーヴェとマルシャンが二人で踊るパートでは、見た目や体つきからマルシャンの方がぱっと見では男性的なのかなと思いました。が、その後、二人がそれぞれソロで踊ったときに、ルーヴェの踊りは中性的。マルシャンの踊りは女性的な柔らかさを感じました。中性的だったり女性的だったりして見えたのは、やはり二人も天使という設定だったせいかもしれません。

2曲目以降の曲のタイトル(2とまれ、3温室にて、4悩み、5夢)と3人の踊りの関連性は、やはり分かりません・・・。(教養の豊富な人なら分かるかもしれません。)振付家の意図は伝わってきませんでしたが、美しい容姿と踊りを楽しむ作品ということにしておきます。

二幕目はドロテ・ジルベールマチュー・ガニオによる「トリスタンとイゾルデ」です。オペラのあらすじを少しは知っているので、こちらの方は「ヴェーゼンドンク歌曲集」よりは分かりやすかったです。同じ振付家の作品なので、部分的にどちらにも似たような振りがありました。振付家は意図して同じ振りを入れているのか否かは不明ですが。

舞台にイゾルデ役ドロテが一人、立っています。手には一つの杯を持ち、恭しく床に置くと、トリスタン役マチューが登場。トリスタンとイゾルデはお互い顔をそむけつつ、実はどうしようもなく惹かれあっている情景が続きます。目についた振り付けは、所々で見られるトリスタンとイゾルデが、相手の方に波を押し寄せるような腕の動き。これは二人がいるのは波に揺られる船の上ということを表すとともに、相手に向かっていく思いを表しているのでしょうか?

意を決したイゾルデが杯から毒薬(本当は媚薬)を汲み取り、トリスタンに飲ませ、自分も飲み下します。すると、二人は抑えていた感情を解放し、欲望に身を任せます。

ここで、舞台前面に映像が映し出され、欲望に身を任せる二人のイメージ映像が流れます。色っぽいイメージ映像でしたが、ダンサーの体の一部をアップに映すのは、ちょっと勘弁してほしい・・・。ヨーロッパではああいった映像が喜ばれるのでしょうか。

映像が終わって再びトリスタンとイゾルデが登場し、媚薬を飲む前の恋情を抑えた表情から一変、歓喜の表情と生き生きした踊り。今後のことの懸念など一切頭になく、恋に溺れて甘い果実を味わっているよう。

しかし甘美な時間はいつまでも続くわけではなく、敬愛する叔父、親愛の情を持つ夫への不義理に苦しみます。しかし恋情は断ち切れず、苦しいけれど離れられない。イメージ映像の水の上で踊る二人が、禁断の恋から抜けられないさまを表しているように見えます。

不倫の関係が明るみになりトリスタンは死に、イゾルデも傍らで後を追い、幕が下ろされます。

ドロテの美しく、内面の強さを感じさせるイゾルデが印象的でした。ただあらすじが予め分かっていたので何とかなりましたが、知らなかったらこの作品も自分にとっては美しい容姿と振付を楽しむ作品で終わってしまっていたと思います。やはり、コンテンポラリーはよく分かりません・・・。