オネーギン(@東京文化会館)

ドラマチック・バレエの傑作「オネーギン(シュツットガルト・バレエ)」を観ました。マチュー・ガニオがオネーギン役として客演するので楽しみにしていました。感想を一言でいうと、見ごたえのあるドラマを観た!です。

エリサ・バデネスのタチヤーナはおしゃれより小説を読むことを好む、夢見がちな少女。そんなタチヤーナの前に現れた憂鬱な雰囲気を漂わせたマチュー演じるオネーギン。憂鬱な表情を見せていても、黒いタイトな衣装を身に着けた長身のマチューのカッコいいこと!タチヤーナは、都会的でスッとしたオネーギンにポーっとなってしまいます。

二人が最初に踊るパ・ド・ドゥ。嬉しくて笑顔をみせているタチヤーナとはうらはら、オネーギンは心ここにあらず、眉根にしわを寄せ、自分の憂鬱な感情の中に入り込んでいるという感じです。チラッともタチヤーナを見ないし、視線も合わせない。タチヤーナよ、ここで目を覚ませ、相手はあなたのことをまったく見てないよ、素朴な田舎の人々とは異質なオネーギンに、幻想を見ているだけなんだよと突っ込みたくなります。

オネーギンへの恋心が募り、手紙をしたためるタチヤーナ。いつしか寝入り、タチヤーナは夢の中。見どころの「鏡のパ・ド・ドゥ」が始まります。

鏡に映った自分の姿に、オネーギンが優しく近づき、それに驚くタチヤーナ。びっくり眼のタチヤーナは、まだどこか幼さが残る少女です。

夢の中のオネーギンは、昼間会った現実のオネーギンとは違い、笑顔を見せてタチヤーナと楽しそうにパ・ド・ドゥを踊ります。夏のバレエフェスでマチューが老けたように見えましたが、今回は老け込んで見えません。オネーギンで輝く笑顔を見せるマチューは、やはりカッコいい。バレエフェス時は夏バテしていてお疲れモードだったのかも。

夢の中でオネーギンとうっとりするような時を過ごし、タチヤーナはますます恋心を募らせてしまう。鏡のパ・ド・ドゥに使われている音楽は終幕の手紙のパ・ド・ドゥと同じですが、木管と弦楽器で穏やかに演奏される旋律はロマンチックで、終幕の激情とはかなり印象が違います。タチヤーナの恋心が高まり、この恋に希望があるかもという明るい結末を予想させます。

が、次のパーティの場で、タチヤーナの明るい希望は打ち砕かれることに。

パーティ会場でオネーギンは平静そうに装っていますが、イライラ感が漂っています。人がはけたところで、オネーギンはタチヤーナに手紙のことを問いただす。オネーギンのとげとげしい態度に困惑し、恋心を訴えるタチヤーナ。そんなタチヤーナに、(お嬢ちゃんの恋愛ごっこには付き合ってられないよ)という呆れた感じで空を見上げるオネーギン。そしてビリビリに破いた恋文を、タチヤーナの手のひらの上に降らせます。この時のタチヤーナの顔!思ってもみない酷い態度をとられた悲しみ が溢れていて、自分の感情を瞬時に隠すこともできない素朴な田舎の少女という感じが良く現れていました。

その後、タチヤーナの心をズタズタにしても気が晴れないオネーギンは、パーティでオリガにちょっかいを出しまくります。それを見てキレたオリガの恋人レンスキーと決闘することに。決闘で友人レンスキーを射殺してしまったオネーギンは激しく動揺し、2幕が終了。ここの決闘の場、色彩を押さえて影絵のような演出になっているところが、他の場面の華やかさと対照的で、意外と好き。

3幕は2幕から数年後という設定です。グレーミン公爵のパーティにやってきたオネーギン。髪に白いものがたくさん混じり、2幕から数年後のオネーギンには見えません。10年後といっていいくらいなのでは?友人を射殺してしまったショックが、一気にオネーギンを老けさせたという設定でしょうか。

都会的なパーティで華やかな人々が踊るダンスは、2幕の片田舎の家で行われたパーティのダンスより洗練されています。屋敷内も豪華な感じです。すっかり老け込んだオネーギンは、グレーミン邸のパーティでは悪い意味で場違いな感じ。1,2幕の田舎の人々がいる場で、洗練された都会的な姿が際立って目立っていたのとは対照的です。

華やかで楽し気な人々の中で所在無げなオネーギン。そんな中、知的で洗練された雰囲気を漂わせる美しい女性が登場します。かつてオネーギンに恋心を募らせ、酷くふられたタチヤーナです。かつての素朴で夢見がちな文学少女の面影はすっかり影をひそめ、周りの人を魅了せずにはいられない落ち着いた気品と美しさ。オネーギンはタチヤーナの虜となります。

私室で一人悩むタチヤーナ。手元には手紙、オネーギンからの恋文があります。一体、オネーギンは人妻である自分にどういうつもりでこんな手紙を、というタチヤーナの思いが伝わってきます。そこにはかつて思いのたけを手紙に書いた素朴な少女の面影はまったくなく、落ち着いた大人の女性がいます。

そして今度は思いのたけを伝えずにはいられないオネーギンが、思い余ったようにタチヤーナの私室に入ってきます。タチヤーナとオネーギン、突き動かされる思いに支配される人物が3幕では1幕と逆転する。

オネーギンの手紙に困ったことと思っていたはずのタチヤーナ。ですが、這いつくばってタチヤーナの愛を乞うオネーギンを見ると、冷静ではいられなくなります。一方のオネーギンも、あの人生に飽いたような人物が、無様な姿で愛を訴える人物に変貌しています。友人の射殺を経て一度死んだ心が、成熟したタチヤーナと邂逅し、新たに生まれ変わったのでしょうか。(いやいや、オネーギンも年をとって前頭葉の働きが悪くなり、抑制が効かなくなったという可能性もありえます、ちっともドラマチックじゃないけど。)

徐々にオネーギンの熱い訴えにタチヤーナの心は傾いていきます。鏡のパ・ド・ドゥと同じ旋律が、今度はフルオーケストラで激しく舞台を盛り上げます。寄せてくるような激しい旋律は、タチヤーナの心の中の嵐を表しているよう。タチヤーナの心はかなり揺れ動き、もみくちゃになっているような二人は、相当程度オネーギンのペースになっています。タチヤーナはこのまま流されていくのでしょうか。感情の奔流に流され、理性は感情の奴隷になるのでしょうか。

オケの高らかな金管の音がなります。タチヤーナが正気に戻ったのか、オネーギンの激情に流されるように見えながら、最後に理性でオネーギンを拒みます。理性を保ち、オネーギンからの恋文をビリビリに破るタチヤーナ。タチヤーナの拒絶にショックを受け、退散するオネーギン。

タチヤーナはオネーギンの恋心を粉々にし、自分のオネーギンへの恋心も完全に封印して、現在の自分のあるべき場所で生きていこうとします。顔を覆って、心を引き裂かれるようなつらい涙を流すタチヤーナ。それは、慎み深く思慮深い大人の女性が嗚咽する姿でした。

ドラマチックな舞台で、結末は知っているけれど、3幕はハラハラドキドキ。最後は涙が出てきました。周りの席の人でも目頭をぬぐいながら観ている人がいましたね。みんな何を思って涙を流したのか分かりませんが、単純にオネーギン可哀そう、タチヤーナ可哀そう、舞台に感動したという涙ではないはず。「オネーギン」は若い人が観ても楽しめる作品ですが、人生を重ねた人にはより一層楽しめる作品だと思います。この作品から何を受け取るかは人それぞれ。再度言いますが、充実して見ごたえのある舞台でした。