上野でゴッホをみる

ゴッホ展(@東京都美術館)とゴッホ最後の手紙(@TOHOシネマズ上野)を観てきました。

東京都美術館ゴッホ展は、チケット売り場に列はあるものの、入場待ちは無し。展覧会内に入ると、けっこう混雑していて、一つの作品をゆっくり見るという感じではありません。ですが、近代の画家の作品展ということで展示作品がたくさん。現代には数えるほどの作品しか残されていない、遠い時代の画家の作品展ではないので、見ごたえがあります。

日本との関わりを軸に展覧会を構成しているので、まったくなじみが無いわけではなく入り込んでいきやすかったです。

解説も分かりやすい。美術展は好きでたまに行くけれど作品や作者については良く分からないわたしのような人間には、解説の有無は大切です。ただ作品が展示されているだけでは、フーンで終わってしまって、後から何を見たんだっけ?と記憶に残らないから。

今回の展覧会のチラシになっている、ゴッホが浮世絵に触発されて描いた絵は、どの作品のどの部分からモチーフを得たものかという図解が特に親切。モチーフを他の作品からとってはいるが、その配色にゴッホの独自性が表れていると言われれば、確かに、と思います。真ん中に描いた花魁の背景には、鮮やかな黄色が使われています。ゴッホ作品の黄色は、クレイジーな黄色ではなく、明るさとか輝きとかが感じられますが、花魁の背景の黄色も、ゴッホの想像の中の憧れて輝いている日本を象徴しているのかも。

「寝室」。シンプルだけど、明るい色に彩られて、好きな作品。ゴッホの浮きたつ気持ちが伝わってくるようです。もともと松方コレクションだったそうですが、日本に渡っていれば、今頃国立西洋美術館の常設展でふつうに見られたのだろうな。

「水夫と恋人」という作品は、他のゴッホの作品に比べるととても小さな絵。ですが残されたゴッホの手紙に全体の構図や色が記されていて、本来はもっと大きな作品だったことが分かっているといいます。そこで一連のゴッホ展のために、日本人画家が本来の作品を復元をしています。復元された絵を見ると、太陽の黄色にピンク色の道、ライラック色の橋など明るい色で全体が彩られています。いい絵なのに、一部分しか残されていないなんて、もったいない。

白樺派の影響で日本でゴッホが知られるようになり、日本人の聖地巡礼としてガシェ家に残された芳名録や、ガシェ家と日本人との書簡、写真、絵画などの展示も興味深い。聖地巡礼をした日本人一家の当時の貴重な白黒映像もあり。

会場通路の一角に、フェイスマッピングを体験できる装置が一台あったので体験してみました。ゴッホ風(?)自画像になるように、プロジェクションマッピングを顔に映し出す装置のようです。証明写真の撮影のように椅子に座って、顔を認識したら、正面にフェイスマッピングされた顔が映し出されます。結果は・・・うーん・・・。顔の筋肉に沿ったような線が絵筆で顔面上に描かれるような感じ。顔の上に映像を映し出すのは難しいようです。自撮りするもうまく撮れず、コツがいるな。

ゴッホ展を見終わったら、今度はTOHOシネマズ上野で「ゴッホ最後の手紙」の鑑賞です。郵便配達夫の息子が、ゴッホが弟にあてた手紙を届けようと、ゴッホ弟の行方を探すうちにゴッホの死の真相に迫っていくというミステリー仕立ての作品です。

俳優の演技をもとに、現代の画家が描くゴッホを模した絵で映像をつづっていきます。今時分のアニメーションやCGとは違い、一枚一枚絵を描いて作られた映像は滑らかな動きではなく、映像に揺れがあります。それが見ている者を不安な気持ちにさせ、芸術的な彩りにもなっていました。さらにゴッホの精神の不安定さを表しているようにも感じさせます。

見ていて考えさせられたのは、耳切り事件のあと、町の人に理解されず排斥されていくゴッホの姿です。自分の周りにゴッホのような人がいたら、自分もアルルの人たちのように排斥してしまうのだろうか。積極的に排斥しなくても、排斥する人を咎めるのでもなく、ゴッホを庇うのでもなく、関わりを持たないようにしてしまうかもしれない。

大して期待せず観た映画ですが、最後まで飽きずにみることができる作品で、ゴッホ展を楽しんだ後か前に観てみるのも悪くありません。