虫よけスプレーは効果あり

根子岳四阿山を縦走する日帰りツアーに参加しました。

菅平牧場の登山口から根子岳四阿山、あずまや高原ホテルのそばに降りてくるコースです。

根子岳は蒸し暑い中、登って、登って。四阿山はゴロゴロした石だらけのところを下って、下って。ああ、疲れた。

 梅雨の季節の中、雨に降られなかったのは良かったのですが、展望がほぼなかったのは残念。景色を楽しめるのは、登山の楽しみの一つですからね。

そんななか、レンゲツツジ、ハクサンチドリがたくさん咲いていて、本当にきれいで心が和みました。

花に詳しくないのでよく覚えていませんが、ミヤマキンバイ、イワカガミ、ツマトリソウ、その他たくさん。スズランも一株だけあり、ハクサンチドリは濃い紫から薄い紫まで色のバリエーションが楽しめました。

ツアーで一緒だった人たりは「ここは花の宝庫ね。」「この花が見られるのは珍しいのよ!」と大喜びしていましたが、すみません、もう教えてもらった花の名前忘れました・・・。 

花で楽しめた根子岳四阿山登山ですが、悩まされたのは休憩中の虫の大量襲来です。

行動中や樹林帯での小休憩中は、虫がブンブン寄ってくるということはなかったのですが、平坦な開けたところでの昼食中や小休憩中に大量の虫に悩まされました。

最初は一匹もいなかったのに、あっという間に何十匹もの虫が飛んできて、払っても払っても寄ってきます。一体どこから飛んでくるんだか・・・。

ガイドさんが「高山での塩分は希少だから、汗かいた人間がやってくると虫が寄ってくるんだよ。」と言いながら、サッと頭から虫よけネットをかぶりました。

周りを見ると、準備の良いツアー参加者は虫よけネットをここぞとばかりに装着しています。そして虫よけネットに覆われていない部分は、シュッシュッと虫よけスプレーをかけています。

わたしも早速、シトロネラ配合の虫よけスプレーをシュッシュ、シュッシュとスプレーしてみました。

そうしたらサーッと虫が引いていくではありませんか。

虫よけスプレーってそんなに期待していませんでしたが、本当に効果あるんですね。

でもスプレーの効果は長く続かないらしく、次の休憩時にも、どこからともなく虫が襲い掛かってきました。そしてまた虫よけスプレーをかけ、虫が去っていくの繰り返し。

 

「虫の害から身を守れた!」と思っていましたが、下山して気づく自分の迂闊さよ。

下山中に、(何となく耳が熱くて痛痒いな、軽い頭痛もするな、気のせいか?)と思っていましたが、鏡を見ると耳たぶを除く部分の耳介が赤く腫れていて、額の中央もボコッと赤く腫れているではありませんか。

帽子をかぶったまま虫よけスプレーをしたので、帽子のひさしが邪魔をして、額や耳の上部にスプレーが行き渡っていなかったようです。その部分をしっかり虫は見逃していなかった!

耳なし芳一じゃないけど、耳って忘れやすい部分なのだな。昔話って含蓄に富んでいます。

今度登山するときは耳まで忘れずに、そして虫よけネットも購入して持っていこうと思います。

なお、虫よけネットはネットの色が白っぽいものだと視界がチラチラしてしまうので、黒系のものが良いそう。

虫よけスプレーは市販のものでなく、北見のハッカ油とエタノール・精製水などの自作虫よけスプレーを使っている人もいました。ハッカの香りが清涼感があって、虫よけだけでなく、疲れが軽減するような感じがしたので、なかなか良さそうです。

 

 

 

 

ボリショイ

6月は新国立劇場のジゼル公演だけでなく、ボリショイバレエのザハロワ主演ジゼルも観ています。

ボリショイバレエはジゼル(6/4ソワレ)のほか、ザハロワ白鳥の湖(6/8ソワレ)とクリサノワ&ラントラートフのパリの炎(6/14)も。

簡単に覚え書き。

ジゼル役のザハロワ、一幕では村娘というには無理があるなーと思ったものの、二幕ではさすが。ロジキンにリフトされている場面が、浮遊感があって風になびいているよう。

一番気になったのは演技でも踊りでもなく、狂乱の場のシニヨンに結った髪のほどけ方です。

新国立劇場は過去の公演でもそうですが、ジゼルが狂乱の場で倒れこんだ際、母親が介抱しているふりをしてジゼルの髪を必死にほどき、村娘役ダンサーたちが壁になって客席からその様子を見えないようにしています。

一方、ボリショイ公演は、ジゼル自身が倒れこむ過程でにさりげなくシニヨンに手をあてて、ある程度ほどける状態にしておいているように見えました。母親役は必死にシニヨンをほどいている素振りはなく、それを隠す村娘たちの壁もありません。そして力なく立ち上がったジゼルの髪は自然にゆったりとほどけていく。

ロシア人と日本人の髪質の差なのか、結い方や整髪剤の違いなのか、単に演出の違いなのか、ボリショイバレエの方が断然自然でした。新国立劇場の方は、「早く髪をほどかなきゃ」という母親役の慌てた様子が、上階からの鑑賞ではけっこう見えていました。

それとこのジゼル公演では、公演前に安倍首相のスピーチがありました。来年は日本で「日本におけるロシア年」、ロシアで「ロシアにおける日本年」で、それに先立ち今年は日本で「ロシアの季節」を行うと。

幕の前に演台が置いてあったので、はて?と思っていたら首相とロシア副首相(金髪女性)のスピーチのためだったんですね。お二人の登場で会場がどよめきました。

 

白鳥の湖。ザハロワの白鳥は何度見ても良いですね。日本人ダンサーの白鳥もいいですが、ロシア人の長い腕は翼をはためかせているようで、全体のラインの美しさも相まって、幻想的な美を見せつけられました。

 

パリの炎。今までガラコンサートでパドドゥだけで全幕は観たことがなかったので、パドドゥのイメージから革命万歳のお祭り騒ぎなバレエなのかと思っていました。

ところが、ボリショイバレエのダンサーの質の高さやダンスの楽しさを存分に楽しめるだけでなく、人が革命に身を投じていく過程やそれぞれの人々の変節も描かれていました。

革命軍に加わった青年ジェロームが処刑された貴族の娘アデリーヌの首を抱いて悲嘆に暮れている反面、やってやったぜと湧きたつ群衆との対比が物悲しく、恐ろしい。

ラストが特に怖かった。

赤いライトの中、革命軍が思いつめたような恐ろしい表情で、前進してくる。

もっと血を!

革命を阻むものは容赦せず倒していく!

革命の熱狂が、このあと社会を混乱に混乱を重ねる状態に導くさまを暗示しているようでした。

主演のラントラートフの舞台を成功させるぞ!という気合の入り方と舞台を引っ張っていく姿勢が、観ていて印象的でした。ダンサーの成長を過去の来日公演と比べられるのも、来日公演の楽しみの一つですね。

 

 

 

 

 

またジゼル

6/30も新国立劇場でジゼルを鑑賞しました。

今回のジゼルは小野絢子さん、相手役のアルベルトは福岡雄大君。

このお二人、前回(2013年)の新国立劇場ジゼル公演時はバーミンガム・ロイヤルバレエ団のアラジンに客演していた関係でキャスティングされておらず、今回が新国立劇場でジゼル初お披露目です。

主演の小野さんはいつも質の高い舞台を見せてくれて、個人的にはここ数年、今見るべきダンサーに位置付けられています。テクニックが強いというより、なにかニュアンスがある踊りと音楽が聞こえてくるようなステップが魅力だと思っています。なので開演前から期待が高まります。

結論から言うと、やはり素晴らしかったです。

小野さんと福岡君はいくつもの舞台でペアを組んでいるため、サポートもリフトもスムーズ。息の合った二人の世界を堪能しました。

小野ジゼルは登場した瞬間から可愛らしく、瑞々しい。小鹿が跳ねているようでした。姫役の時の強い主役オーラとは違う、素朴な可愛さが漂っていました。

一方の福岡アルベルトは大人っぽい。ジゼルが森番ハンスに言い寄られた時、ジゼルが嫌がる素振りを見せるまでは静かに事態を見守り、一旦ジゼルが嫌がる素振りを見せたらサッと二人の間に入り、ジゼルを守る姿勢を見せる。佇まいも所作も、村人とは違う雰囲気を持っています。一時のダンサー生命に影響しかねない体型から持ち直して、動きやすそうなのも良かった。体重増は怪我の増加にも繋がるので心配してました。

米沢・井澤組の公演と同様、今回も気になるのは、アルベルトが身分がばれそうになる、そしてばれた時にどう振舞うかという点です。

菅野ハンスに身分をばらされた福岡アルベルトは落ち着いた感じで笑顔を見せつつ、小野ジゼルにハンスの言を信じないよう話します。遊び人っぽくは見えません。(ついでにいうと、菅野さんは演技力のあるダンサーだなあ。粗野な中にもジゼルへの抑えがたい恋心と報われない苦しさが滲んでいます。)

同じ場面で井澤アルベルトも笑顔で米沢ジゼルに話しかけ、話しかけ方が遊び人の言い訳っぽく見えたのですが、両者の違いは?派手顔のイケメンである井澤アルベルトは、その容姿ゆえに遊び人っぽく見えてしまうのかもしれないな。

遊び人っぽくは見えない福岡アルベルトですが、剣をはずし貴族らしからぬ軽装でいる姿をクールランド公爵に見とがめられた時のとぼけ方が白々しくアホっぽくて、本当は悪い男なのでは?という疑惑を抱かせます。

さて、狂乱の場。小野ジゼルは正気だけど、悲しみと信じたなくて混乱しているように見えました。悲しい、信じたくないという気持ちが伝わってきます。

深い悲しみがジゼルの心臓を傷めつけ、酸素供給が少なくなって意識障害になり、最終的に事切れてしまった、と思わせる演技でした。

従者に制止されてもジゼルに駆け寄ろうと必死の形相の福岡アルベルトは、本当にジゼルを愛していたように見えました。取り澄ました貴公子の顔が完全に消えちゃって。

一幕の楽しい村祭りから狂乱の場への暗転、二幕ではバレエ・ブランを楽しめるのが「ジゼル」という作品。

二幕で最初に登場するのはミルタ役の細田さん。スタイルの良い新国立劇場バレエ団のダンサーの中でひときわスレンダーで透明感の漂うダンサーですが、冷たく硬質な怖さとウィリのリーダーとしての存在感がありました。ウィリ集団のアラベスクでの交差場面が終わると、真ん中を割ってグランジュテで飛び出してくる場面ではハッとさせられました。

さて、小野ジゼルはどうだったか。正直、小野さんは特にテクニックが強いという印象はない(小野さんすみません・・・)ので、ウィリとしての登場場面はどうだろう、と密かに心配していました。が、杞憂だったようで、空気抵抗を感じさせない速い回転、風に乗っているようなジャンプで、心配を払拭してくれました。その後も小野ジゼルは福岡アルベルトとのパドドゥやソロの踊りが軽い。

そして小野ジゼルは、福岡アルベルトを優しく守り抜く。一幕では守られる存在だったジゼルが、二幕ではアルベルトを優しく包み込み、守る存在になっている。

アルベルトのことは全身全霊をもって守り抜きますが、アルベルト以外の男性にウィリの一員として対したときは、どうなるんだろうか。他のウィリ達と同様、眉ひとつ動かさず非情に振舞うんだろうかと思ったりもしました。

ミルタに命じられて踊り続ける福岡アルベルト。いつまで続くんだと固唾をのんで見守るほど、細かく速いアントルシャが続きました。あれだけアントルシャを続けて、その後ブリゼも続けるのだから相当疲れると思うのですが、苦しそうな表情や踊りはあくまで演技。苦しい演技にかこつけて素の疲れを踊りの中で見せてしまうと、そのあとの踊りももっさりと重くなってしまう、はず。

散々踊らされてもうこれまで、というところで夜明けの鐘がなり、ミルタ率いるウィリ集団は去っていき、舞台には小野ジゼルと福岡アルベルトが残されます。力尽きて倒れこむアルベルトの片腕を胸に抱く小野ジゼルの安堵感や達成感、迫りくる別れの哀しみなど様々な感情を湛えた表情が美しい。

墓に消えていくジゼルの片手を手に取り、慈しみをもって頬に添え続ける福岡アルベルト。ジゼルが消えてもそのままの状態が長く続きます。ジゼルが去って行っても気づかないアルベルトの状態に、ウィリのジゼルは実体のない存在で、実際に触れあっていたわけではないのだと改めて気づかされます。

それにしても福岡アルベルトが片膝ついてジゼルの手を取っているかのようなポーズが長い。もしかして、一晩踊らされ続けた疲れや生き残った安堵から、そのまま寝落ちしたという表現か?そうだとすると、目覚めて今までのことが夢かうつつか判然としないところを、ジゼルが残した一輪のユリの花に気づき、やはり現実のことだったのだと改めてジゼルへの愛しさを溢れさせて一人たたずむラストなのだろうか。

いやいや、それは考えすぎで、あのポーズの長さはジゼルと離れがたい気持ち表現したもの?ジゼルの存在が既に消えていることに気づき、残されたのユリの花でジゼルの深い愛を思い出し、ジゼルへの 愛しさが溢れて一人たたずむラストだったのだろうか。

 

 

ジゼル

今日から日記始めます。

といっても毎日は書かないだろうな。気ままに続けていきます。

 

初めの日記は今日のことではないのですが、先週観たバレエの感想です。

観たのは6/24(土)13時開演「ジゼル」(@新国立劇場)。

主演のジゼルは新国立劇場バレエ団プリンシパルの米沢唯さん、

相手役のアルベルトは井澤駿君(ファーストソリスト)です。

ジゼルのストーリーはざっくりいうと、身体の弱い村娘ジゼルが、村人のふりをした貴族の男性と恋をし、恋人の身分と婚約者の存在を知りショックで亡くなる。死後ウィリという妖精になって、ジゼルの墓参りに来た恋人を死ぬまで踊らせようとする仲間のウィリ達から一晩中守り抜き、朝日とともに消えていく、という男性に都合のいい内容になっています。

米沢さんのジゼルは、軽やかでピュアな感じの村娘。テクニックに定評のあるダンサーなので、踊りを観ていてヒヤヒヤするところがなく、物語の世界に集中することができました。(これがテクニックに心配のあるダンサーだと、踊りが失敗しないか気になって応援モードになり、物語の世界に入るどころじゃなくなります。)心臓が弱くて思いっきり踊ることはできないけど踊ることが大好き、そして恋人のアルベルトのことも大好きということが伝わってきます。

一方、井澤君のアルベルトはジゼルのことを好きなことは好きなんだけど、真剣な恋ではないような?一緒にいるときは優しいけど、その時だけ。プレイボーイという役作りをしていたようにみえました。

そう感じたのは次の二点が気になったからです。

一点目は、ジゼルに思いを寄せる森番のハンスに身分をばらされ、アルベルトがジゼルに釈明する場面の演技が、なんか軽くて真剣さがない・・・。動揺を笑顔で隠し、「あんな男の言うことを信じちゃいけないよ~。」と、純真なジゼルを丸め込んでいるような感じで、真剣な恋の相手に誠実に向き合っているようには見えない。

二点目はジゼルの狂乱の場でのジゼルとの向き合い方です。身体が弱く周囲の村人からも大切に扱われて、おそらく酷い目にあわされたことがない故に、他人を責めることもなくピュアに育っただろうと感じさせる米沢ジゼル。それゆえ裏切りに対してアルベルトを責めるのではなく、自分の精神を壊してつらい現実に対処したのだと思わせるジゼルでした。そんな精神を壊したジゼルに向き合ったアルベルトは、尋常でない目つきで自分を認識しないジゼルを、奇異なものを見たとショックを受けたような表情で、愛している女性に向ける目ではなかったし、心配しているようにも見えませんでした。

狂乱のはて、ジゼルが亡くなり、母親をはじめとして村人が悲しむ中、アルベルトは動揺して悲しみの感情も出さないまま、一幕終了。

日本人が演じるアルベルトは大体ジゼルに純愛を捧げていて、真剣に愛していたという役作りをすることが多いのですが、井澤アルベルトはそう見えませんでした。でも純愛を演じたつもりだったのかなあ??

二幕は月夜に森の中のジゼルの墓参に向かうアルベルトが登場します。ジゼルの死を悼むためユリの花束を抱え、ユリの花束をジゼルに見立てて頬を寄せる仕草があったのですが、この頬を寄せかたが本当に愛しい女を想っているようで、一幕と様子が違うぞ。

「君はそんなにジゼルを好きだったっけ?」とツッコミを入れたくなります。

初めは遊びで始まったけど、自分の軽はずみな行動がとんでもない結果を招いてしまったという後悔の日々の中で、自分の中でジゼルの存在が次第に大きくなっていき、愛しさがこんこんと湧いてきてジゼルに対する思いが一杯になったのだろうか??

井澤アルベルトの演技はともかく、ウィリ達に仲間入りすべく召喚された二幕の米沢ジゼル登場シーンは、つむじ風が起きそうな回転、空を切るジャンプで、生前こんな風に身体の心配をすることなく踊りたかったというジゼルの思いが伝わってくるようでした。

その後ジゼルとアルベルトが邂逅し、パドドゥの米沢ジゼルはふわーっと風に乗っているよう。ジゼルはアルベルトを一切恨んでおらず、自分のことを想ってくれるアルベルトへの恋心も決して強い調子ではなくふわーっと漂います。

ジゼルとアルベルトが二人だけの密な時を過ごしている一方で、森番ハンスは深夜の森でウィリ達に捕まります。死ぬまで踊り続けさせられて、挙句の果てにウィリ達に沼に突き落とされるのですが、ハンス役の中家君が、踊りの中で苦しさを表すのが上手く、踊りもつま先までキレイでした。このハンスを沼に突き落とした後の、ウィリ達の退場シーンの足取りが軽やかで晴れ晴れとしていて「女の敵をやっつけてやったわ」とでも言っているかのようで、この作品を見ると毎回このシーンが怖くなります・・・。

ウィリ達に見つかったアルベルトもハンス同様、死ぬまで踊り続けるようウィリのリーダー、ミルタに強制されますが、そこへアルベルトの命乞いをするジゼルが登場。ミルタ率いるウィリ達が納得するよう二人で踊り続けるのですが、井澤アルベルトのアントルシャ、最後まで元気すぎたような。そして連続ブリゼの終わりの方でやっと苦しそうな演技になり、個人的な好みではもう少し踊りの中で演技が見られるといいと思いました。

なんだかんだ言ってますが、終わったら今日もいい舞台を見たなと満足しました。

主役だけでなく、ペザントの奥村君ははつらつとして、観ている方が楽しくなる踊りだったし、24人のウィリ達がアラベスクをしたまま交差して移動する場面(なんて言うんだろう?)は震えるほど美しかったし、いつの間にか背景の月夜が朝ぼらけに変わっていたのにもハッとしたし、東京フィルハーモニーの演奏も素晴らしかったです。バレエ公演の演奏で、金管の音が不安定になるのが東フィルの通常運転だと思っていましたが、今回はそんなことなく、物語を盛り上げてくれていました。ペザントパドドゥの出だしの音が変な感じがしたのは気のせいかもしれません。静かな場面で声のようなものが聞こえてきたのは、指揮者のバクランさんのオケへの指示の声だったのかな。