高尾の冬の風物詩

さむーい新年に高尾山に行ってきました。

目的は高尾の冬の風物詩を見るためです。高尾の冬の風物詩、それはシモバシラ氷の花。

12月に高尾山に行ったときは暖かな日だったので、見られませんでした。残念・・・。しかし今回はとても寒い日だったので、バッチリ!まだ小さな氷の花が多かったですが、数も多く、去年より色々な場所で見ることが出来ました。高尾は氷の花、いっぱい。

京王線高尾山口駅に到着したのは朝の7時。朝早いので閑散としているかと思いきや、お正月だからか、思ったより高尾山に向かう人がいました。その数30人は超えていたはず。

まず最初の氷の花スポットは稲荷山コースの登り始め。実はどこら辺にあるのか知らないのです。秋にシモバシラの花を見たのはここら辺だったかとあたりをつけて、キョロキョロしながら登山道を登っていきますが、見当たりません。この日の稲荷山コースの氷の花は不発だったようです。(下山時に会った人にも見られなかったといってました。)氷の花は見られませんでしたが、冬のやわらかな日が差す稲荷山コースは暖かで気持ちが良い。冬におすすめのコースです。

稲荷山コースを登って山頂は巻き、5号路からもみじ台の巻き道に行きます。もみじ台巻き道は氷の花が群生(?)しているスポットです。この日も巻き道をしばらく行くと、人だかり(といっても4~5人ぐらい)が出来ているのが見えてきました。

(あ、きっと氷の花があるんだ!)と思って近づいていくと、ありましたよ、小さな氷の花がたくさん。ざっと数えても20はありました。主にもみじ台側の斜面に見られるのですが、登山道の反対側、杉林側にもチラホラと氷の花がありました。

もみじ台巻き道をさらに行くと、氷の花が点在しています。

去年はこの先にもう大きめの氷の花が見られたはずと、ずんずん進んでいきます。そうするとありました。高さ8~10センチくらいの氷の花。シモバシラの枯れかかった茎を軸にして、紡錘形っぽい形をしています。これ位の大きさがあると見栄えがします。場所はもみじ台巻き道の終わりが見えるぐらいのところ。巻き道の終わりが見え始めたら、斜面を目を皿のようにして探せば見つかります。

もみじ台巻き道が終わると、もみじ台と一丁平をつなぐ通常の登山道に合流します。今回は、もみじ台の階段と一丁平に繋がる階段の間の平坦な道にも小さな氷の花がいくつも見られました。去年はここで氷の花を見ませんでした。ここにも氷の花が出来るとは知らなかったので見逃したのか、それともまだ無かったのか分かりませんが。陽当たりが良さそうな所なので、時間帯によっては消えてしまうかもしれません。

思わぬところで氷の花を見られましたが、お次は一丁平の巻き道です。ここでも小さな氷の花が群生していました。こちらも20以上、氷の花がありました。そして10センチぐらいありそうな大きめの氷の花も。

今年は氷の花をたくさん見たと、満足して下山を開始します。下山といってもこの日は山頂は踏んでいません。帰りはもみじ台巻き道から江川杉のある5号路を進んでいきます。杉林の反対側は高尾山山頂がある斜面です。何気なく山頂側の斜面を見て歩いていると、ここでも氷の花がいくつか見られました。去年はここでは氷の花を見ませんでした。もしかして、この日は氷の花を見るには当たりの日?

5号路を進んでいくと1号路が合流しますが、そのまま5号路を行くと、3号路や6号路に合流する前に、氷の花スポットがあります。たいてい人だかりが出来ていて、この日もご夫婦の登山者がいました。そして小さな氷の花がありました。陽当たりが良さそうに見える場所ですが、氷の花ができているところはしっかり日影になっています。私が見たのは朝の9時前ですが、陽の高さが変わったら日影だった場所も陽が当たってしまうかもしれません。

もうこれで自分の知っている氷の花スポットは終わりというわけで、薬王院に向かいます。9時を過ぎているので、薬王院内は人出が賑やか。

薬王院に寄ったのは、参拝と守護矢(破魔矢)の購入のためです。昨年の守護矢は返納するため、登山中ザックのわきにつけていました。はっ、もしかして氷の花をたくさん見られたのは、この日ずっと持ち歩いていた守護矢のおかげ?

参拝は済んだし、守護矢の返納と購入も済んだので、後は下山するのみ。山門をくぐって1号路を歩いていると、参道の脇でカメラを構えているおじさんを見かけました。枯れた植物が生えているだけなのに、何を撮っているんだろうと近づくと・・・。

ドライフラワーになった植物の茎の下の方、地面から出ている数センチの部分に細く小さな氷の花ができています。茎の上部は枯れてドライフラワーになった花、茎の下部は氷の花。こういった氷の花ができる植物もあるんだ!

氷の花ができていた花の種類は、アズマヤマアザミとカシワバハグマと教わりました。自分が知らないだけで、氷の花ができる植物は結構あるのかもしれません。何も無さそうなところで写真を撮っている人を見かけたら、勇気を出して声をかけてみると未知の情報をゲットできますね。ちなみにここで教えてくれたおじさんは、稲荷山コースでもカシワバハグマの氷の花を探したとか。この日の稲荷山コースでは、氷の花は時期が早かったようで見られなかったそうです。1号路で見られたものもまだ小さいと言ってましたので、もっと大きく見られる時もあるようです。

今回は、1号路、5号路、もみじ台巻き道、もみじ台と一丁平をつなぐ登山道、一丁平巻き道といった多くの場所で氷の花を見られました。というわけで、高尾は氷の花、いっぱい。

しし鍋屋のディスプレイ

イノシシ料理屋の店外展示が、いつの間にか変わっていました。

店の名は「もゝんじや」といいます。

両国にある有名なイノシシ料理の店のようです(入店したことがないので、詳細は不明)。

この店は京葉道路に面した軒先に、店外展示でイノシシの剥製を1頭吊るしていました。

この剥製、背中の真ん中部分が少し禿げていました。背中の禿げた部分は、恐らく通行人に触られ続けた結果。ちょうど格子状になった金属製の柵から、指を入れてかろうじて触れる部分が禿げていましたから。

その剥製は、何年も同じ状態で吊るされ続けていました。きっとボロボロになるまで展示し続けるのだろうな。

と思っていたら、なんと!吊るされているイノシシの剥製が3頭に増えていました。いつの間に?

おまけに展示スペースも、なにやらリニューアルされて、きれいになっています。

以前は「とりあえず展示しておきます。でもいたずらされたら嫌だから、柵を設けて、出来るだけ触れないようにしておきます。おしゃれさやインスタ映えも不要です。」という感じでした。素っ気ない窓とコンクリートの壁の前に、無骨な感じで剥製は吊るされていました。

そんな展示スペースれが、木材を使った装飾をして江戸情緒が加わったというか、おしゃれ感がアップしています。さらに金属製の柵は取り外され、剥製と見学者を遮るものはなくなっています。ついでに、温かみのある色合いの照明でライトアップされています。インスタ映えしそう。

一体、この変化はどうしたのだろう。

よく見ると、展示スペースのそばに立て札のようなものも設置されています。読んでみると、「享保3年創業の・・・」といった感じで店の由来が説明されています。

享保3年って暴れん坊将軍の時代か・・・と思いながら読んでいると、立て札の最後に「墨田区」という記載が。

どうやら墨田区の肝入り(?)で、区内の観光名所になっているようです。すぐそばの回向院にも同じような立て札がありました。観光名所としてプッシュするには、以前の状態では弱かったのかもしれません。なにしろ1頭の剥製が金属の柵の中で、まるで牢屋の中に吊るされているように見えましたから。

ちょうど亥年を迎えるし、ディスプレイを変えるにはちょうどいいタイミングということもあったのかもしれません。通行人が触り放題な状態で展示されているのが、大丈夫かなと余計な心配をしてしまいますが。

というわけで、亥年あけましておめでとうございます。

12/21くるみ割り人形(@新国立劇場)

12/21新国立劇場くるみ割り人形を観てきたので、主役の2人について簡単にメモ。

この日のクララ役は木村さん。

1幕の夢の中でねずみたちとの戦いの場が始まる前に、木村さんは初めて舞台に登場します。

木村さんは登場した瞬間、戸惑った子供の表情をしている!見知った自分の家のはずが、どことなく変で、どこか不思議なところに迷い込んでしまったといった戸惑った顔です。夢の中でも、最初は現実の子供の姿のままということが、木村さんの表情の作り方から分かります。

ねずみたちとの戦いを経て、くるみ割り人形の傷ついた姿に泣きじゃくる時の姿も、まだ子供。

そしてドロッセルマイヤーの甥に変身したくるみ割り人形とパ・ド・ドゥを踊るときは、乙女の顔をしている!あどけなさを残す子供の顔ではなくなっていました。

一方、相手役のドロッセルマイヤーの甥役は渡邊君です。士官学校の制服(?)らしき衣装がとても似合っています。この衣装は長身細身のダンサーに似合うようです。いつものようにジャンプは高く、爽快な踊りを披露。

さて、2幕のグラン・パ・ド・ドゥ。

木村さんのこんぺい糖の精はキラキラ。衣装もティアラもネックレスもキラキラして照明もカッと明るいので輝いて見えるのは当然ということではなく、存在自体がキラキラしています。1幕のねずみとの戦いやパ・ド・ドゥ、2幕のお菓子の国に到着したばかりのクララとは違う。現実離れした美しさが光を放ち、クララとは全く存在感や雰囲気が違います。手足も長くて、絵になります。(イーグリング版も2幕はお菓子の国という設定だったのに、今気づきました。あやしい雰囲気のアラビアの踊りや蝶々という謎の存在から、お菓子の国ではなく、どこかの異世界の設定なのかと思ってましたよ・・・)

木村さんのきらびやかさは置いといて、この日の一番のポイントは、木村・渡邊ペアの進化です。リフトもサポートも一段とスムーズになっていました。

イーグリング版は女性ダンサーが男性ダンサーの方に飛び込み、サッと男性がリフトする振付があり、全体的に難易度が高め。タイミングが合わないとパ・ド・ドゥが台無しになってしまうような振付が多いです。そんな振付を踊りの勢いを殺さず、あくまで優雅に何でもないことのように踊り続ける2人。

以前の舞台鑑賞時に、木村さんの背の高さは、渡邊君がリフトやサポートをするには少し高いのか、もう少し背が低いダンサーとの方が良いのかもしれないと思ったものです。が、2人は進化していて、その懸念は払しょくされました。渡邊君は新国立劇場バレエでは長身に分類されるダンサーですが、自身が長身でも、長身の女性ダンサーをサポートするのは大変なはず。(以前ゼレンスキーがインタビューで、長身女性ダンサー(ロパートキナ)をサポートするのは大変だと言っていた。)木村・渡邊ペアは、どんな過程を踏まえて、難易度の高い振付をこともなげな雰囲気で披露できるようになっていったのでしょうか。興味がわいてきます。

こんな感じで12/21の舞台鑑賞メモは終わりです。

トータルとしての完成度の高さの小野・福岡ペアも良いし、進化し続ける木村・渡邊ペアは益々見逃せなくなってきそうです。一つだけ観るならどのペアがいいか、選ぶのが難しくなってきました。

 

くるみ割り人形(@新国立劇場)

新国立劇場バレエのくるみ割り人形初日を観てきました。

再演のイーグリング版くるみ割り人形、ということで簡単にメモ。

簡単な感想は、雪の結晶の群舞きれい!と小野さんは今回も音楽性豊か、です。

くるみ割り人形は子役ダンサーが通常の公演より多く出演します。ということで、父兄なのかか友人知人一家なのか、そして子供も楽しめる演目ということもあり、客席も子供が多い。といっても、ガヤガヤと煩いわけではないので良いですね。なにより客席が満員に近いと、何となく観客の期待感みたいなものが高まって、公演が盛り上がる感じがするし。

さて肝心の公演。冒頭にも書きましたが、雪の結晶の群舞がきれいできれいで、観ていて震えます。

ゆるやかに回転するダンサーが、パウダースノーのような雪の結晶ひとつひとつが音もなく舞いながら地上に降ってくるように見えます。ダンサーたちが集団で交差しながらグランジュテを続けるところは、壮観です。なにより、スタイルの良い人ばかりのダンサーが、揃えに揃えて踊るさまは、見ごたえがあります。観ていて1幕でテンションがあがるのは、この雪の結晶の群舞とその前のクララとくるみ割り人形のパ・ド・ドゥです。

遡って、1幕のねずみたちと兵士たちの戦い。期待のダンサー、騎兵隊長役の速水君がいい。軸が曲がってしまっても、最後はピタッときれいに終わらせることが出来る。

騎兵隊長が目を引く動きを見せる一方、ねずみと兵士たちの戦い自体は最終的にはねずみたちの勝利。前回同様、くるみ割り人形側の最終兵器の大砲が出てきますが、飛距離10数センチ。飛んだというより、発射してすぐ落ちたという感じのショボさです。そりゃ負けるよ。そして兵士たちが捕虜になって舞台から退場。

傷つき倒れたくるみ割り人形のそばで悲しむクララ。ドロッセルマイヤーの魔法でくるみ割り人形がクララの憧れの男性(ドロッセルマイヤーの甥)に変身し、クララとパ・ド・ドゥを踊りだします。穏やかな金管の音色が、ロマンチックな場面を彩ります。(金管が音を外さなくて良かった!)

ここの部分、音楽もパ・ド・ドゥもきれいで胸がいっぱいになるのですが、パ・ド・ドゥの始まりと前の場面とのつながりが困るのです。というのは、観ているわたしは、パ・ド・ドゥの始まり部分では、まだひとつ前のお笑い場面(捕虜になって舞台を退場する兵士たち)を引きずっています。せっかく好きな場面なのに、のっけはお笑い場面の余韻(?)で、すぐにロマンチックなパ・ド・ドゥの世界に入れない。近くの席の人たちは笑っていいい場面でも生真面目に鑑賞しているので、もっと感情をあらわにしても良いいのにと思いますが、舞台を楽しみ過ぎると次のシーンに乗り遅れることもある・・・。

2幕のディベルティスマン。アラビアの踊りは本島さん。本島美和と仲間たちという感じで、本島さんが紅一点で数名の男性ダンサーが恭しく従う。ハートの女王といい、カラボスといい、雰囲気作りがうまくて、男性ダンサーを従える姿がサマになります。

中国の踊りの奥田さん。技術がしっかりしていて、はじけてて、可愛い。

ロシアの踊りは数名の女性陣の中に、黒一点の福田(兄)君。手始めはアクロバットな側宙(正式名称知りません。)。その後も高度な技術を見せて、舞台を盛り上げていました。改めて、福田君の運動神経の良さが分かる踊り。

蝶々は細田さん。細田さんは踊りがきれいなだけではなく、運動神経が相当良さそうな気がします。ピルエットの軸が細くて、キュルルッと回る。

群舞の花のワルツはやはり楽しい。ワルツは音を聞いているだけでワクワクしてきます。照明がカッと明るくないのが少々寂し気な雰囲気ですが、次々と繰り広げられる群舞が楽しい世界に誘う。飯野さんは好きなタイプの踊り方をするダンサーなので、花のワルツのソリストで見れて嬉しい。

トリはこんぺい糖の精と王子のグランパ・ド・ドゥです。こんぺい糖の精は小野さん、王子は福岡君。

アダージョは息の合った踊りを見せる。顔や身体の向き、腕の上げ方のユニゾン。安全を重視した無難な踊りではなく、絶妙のタイミングでスムーズにリフトし、二人の世界を作っていきます。

福岡君の男性ヴァリエーションは、自分のテクニックを誇示するのではない、嫌みが無くて品が良く、美しい踊り。マネージュは若々しく元気に廻る。

小野さんの女性ヴァリエーションは、音楽性豊か。音に踊りを合わせているというより、小野さんが音を奏でているかのようです。どうやったらここまで音楽性豊かに踊れるのだろうか。うっとりと観てしまいます。

コーダは二人で盛り上げて。早いテンポでも息の合った踊りを見せる。観ているこちらは満足度がさらに高まってきて、夢の国に連れて行ってもらいました。

ですが、幸せな気分になってくる半面、ダンサーはいくつになっても踊り続けていられるわけではないので、いつまで二人の踊りを観ていられるだろうかという思いも。

こんな感じで、今回のくるみ割り人形初日鑑賞日記は終わりです。

 

 

 

白鳥の湖(@東京文化会館)

12/8ソワレのマリインスキーバレエの白鳥の湖のメモ。

簡単な感想は、「メイちゃん良いじゃないか!」と白鳥の湖はロシア人ダンサーの十八番。

当初の予定ではスコーリクがオデット・オディール役に予定されていましたが、バレエ団来日前から主役はエカテリーナ・オスモールキナに変更。主役が変更してもチケットの払い戻しはないので、若干気落ちしながら東京文化会館に到着しました。

ですが、会場に着くと華やいでいて、何となくわくわくします。この日は会場には舞台鑑賞が趣味という感じではなさそうな背広姿の男性陣が何人もいました。証券会社が協賛しているので、その関係者のよう。証券会社から招待されたっぽい人たちも結構いたようです。

さて肝心の舞台の方は、永久メイさんが王子の友人たち(パ・ド・トロワ)にキャスティングされています。今回はどうかなと思っていると、メイちゃん良いじゃないか!

かわいくて生き生きと踊り、テクニックも不足が無い。パ・ド・トロワは「白鳥の湖」の序盤を盛り上げる場面なので、ここが尻切れトンボ的になってしまうと、その後の鑑賞のエンジンが上がっていかない。メイちゃんたちが多いに盛り上げてくれたので、「今日の舞台は良さそうだぞ」と会場の温度も上がってきました。この日の出来が本来の永久メイさんの力量だと思うので、「海賊」のときはかなり緊張していたんですね。

2幕になると観客が待ちに待ったオデットの出番です。湖の湖面をスーッと泳いでいく白鳥たちの最後に、頭に冠をのせた白鳥が現れ、舞台の袖に消えていくと、陸に上がり白鳥から人間の姿に変わる最中のオデットが登場します。

逃げつつも王子に興味を持つオデットに、追うジークフリート王子。そこに次々に白鳥たちが加わり、バレエ・ブランの世界が繰り広げられる。

ロシア人ダンサーは手足が細く長く、長い腕が白鳥の翼を表現するのに適している。プロポーションの良いダンサー勢ぞろいのコール・ドは細かく見ればそろっていない部分もあるのでしょうが、そんなことは気にならないくらい美しい。自分たちの伝統芸能の十八番を見せている自信、白鳥の湖をロシア人ダンサー以上に美しく踊れるダンサーはいないという確信のようなものが舞台上のダンサーたちから伝わってきます。

オスモールキナのオデットは繊細、憂い顔で幻のようで、男性が庇護欲を掻き立てられる感じ。

それが3幕のオディールでは大胆で開放的な女性を演じる。オデットとオディールではどちらかというとオデットの方が得意なような感じを受けましたが、かといってオディールに向いていないわけではない。バランスのいいダンサーですね。3幕の終盤でオディールがオデットでないことが判明したときの王子をあざ笑う顔は、うまく騙しおおせて可笑しくてしかたがない悪女の顔でした。

王子役のザンダー・パリッシュは前回の来日公演時に「見た目は良いのにね・・・(ため息)」だったのですが、前より良かったような気がします(あんまり注目して観ていない)。

ところで3幕の冒頭、王子の花嫁候補が王子と次々と踊り、王子の気を引こうとしますが、花嫁候補は皆同じ衣装です。以前の新国立劇場バレエもマリインスキー版の白鳥の湖を上演していたので、その当時は今の牧版と違って花嫁候補は全員同じ衣装でした。主要な役ではないし、全体の調和を考えて同じ衣装にしているのかと思っていましたが、「オデットに夢中で他の姫が目に入らない王子には、どの姫も同じに見える」という王子の心象風景を表現している部分もあるのかもと今更ながら思いました。

3幕は、ロットバルトのマントの翻し方がカッコいい。アンドレイ・エルマコフ演ずるロットバルトの表は黒、裏は赤のマントの翻し方がバリエーションがあって、毎度同じではない。マントの片側だけをバッと翻したり、両側を同時に翻してマントの下部の真ん中が左右対称にたわんだようにめくれたり。演出効果の高いマントの翻し方が教師や先輩ダンサーから伝授されているのでしょうか?

そして1、3幕ともに、道化役のダンサーの踊りが素晴らしかった。体つきがスッキリしていて筋肉が目立つタイプの脚ではないけれど、技術はかなりしっかりしていて跳んでも回転しても客席を沸かせました。良いダンサーだと思いましが、誰だったのかよく分かりません。当日入り口でもらったキャスト表には「ヤロフラフ・バイボルディン」と記載されてましたが、ジャパンアーツのサイトを見ると、キャスト表から変更があるとのことで「ラマンベク・ベイシェナリエフ」とあるものの、道化:バイボルディンの名を取り消し線で消してその横に「ウラディスラフ・シュラコフ」と記載されています。一体誰だったんだ?

4幕は静かな湖畔に佇む白鳥たちの群れに、風雲急を告げるような音楽とともに、王子に裏切られて心が千々に乱れたオデットが駆け込んでくる。傷心のオデットは弱々しい。

悔恨の王子がようやくオデットを見つけ、愛を再確認する。身を寄せ合うオデットと王子ですが、フルートの音が流れるとオデットがアラベスクのポーズで後ずさって王子から離れていく。そしてその音を振り切るようにオデットがピケターンで王子の元に戻っていく。この部分ってピロロロロロというフルートの音は悪魔の魔法を表現しているのでしょうか?悪魔の魔法で一旦王子から引き離されたものの、オデットの強い愛で悪魔の魔法を振り切って、再び王子の元に戻っていくという場面設定?

悪魔ロットバルトが登場して、魔力で傷心のオデットは瀕死の状態に。ここで王子が男を見せて、愛に力を得て悪魔ロットバルトを倒します。悪魔の呪いが解けて、王子がオデットを助け起こし、立ち上がるオデット。王子がオデットに「ほらご覧、もう悪魔に悩まされることはないよ」とでも言うように悪魔の亡骸を見せると、初めてオデットは笑顔を見せます。憂い顔から、夜明けとともに明るい表情になったオデット。オデットと王子の幸せそうな姿で幕が下りて、「白鳥の湖」は終わりです。

 

 

 

 

マリインスキーのすべて(@東京文化会館)

12/2と12/3にマリインスキー・バレエの「マリインスキーのすべて」を観ました。

第一部の「ショピニアーナ」(レ・シルフィード)。正直、ショピニアーナは10年に一度位の間隔でしか観ない作品なので、どこが見どころか良くわかりません。月明かりの下、現実感のないフワッとしたシルフィードたちと詩人が幻想的に踊り、静かな曲調から最後はワルツで華やか、かつ、優美に終わる作品。

12/2のアリーナ・ソーモワのシルフィードっぷりを見て、感慨深かったです。マリインスキーの期待の新人として新国立劇場のくりみ割り人形にゲスト出演したときの印象が強かったので(パートナーのサポートのしやすさも考えず自分の踊りたいように踊り、上げたいように脚をあげ、内心「暴れ馬ソーモワ」と名付けていた位なので)、ソーモワも成長したな、と。でもソーモワより、12/3のエカテリーナ・オスモールキナの方が好みです。

それより作品中に使用されているショパン前奏曲第7番イ長調を聞くと、太田胃散のCMをどうしても思い出してしまいます。太田胃散のCMは罪深い・・・。イ長調を使っているのはイ長(調)と胃腸をかけたダジャレ?

第二部の「眠れる森の美女」よりローズ・アダージョ。12/2はオスモールキナで、12/3は期待の新人(らしい)マリア・ホーレワ。ホーレワは小鹿のようなダンサーで、可愛い。

オスモールキナとホーレワではアティテュードで4人の求婚者の手を取りながらバランスし続けるときに違いがありました。オスモールキナは両手をアン・オーにしてキープはせず、一人の求婚者の手を離したら、次の求婚者の手のひらの上に自分の手をそっと優雅に置くスタイル。ホーレワは次の求婚者の手を取る前に頑張って両腕をアン・オーにして一瞬キープするスタイル。

好みはあるのでしょうが、わたしはアン・オーで無理にキープせず、優雅に手を置くオスモールキナの方が好みです。といっても、ニーナやロホのような強靭なテクニックを持つダンサーがアン・オーでアティテュードの長いキープをするのを観るもの好きです。見せ場に出来る位のキープをできるダンサーなら観ていておおっ!となるので良いのですが、観ているこっちがハラハラするような場合は無理しなくてもいいのではないかと思います。一応、お姫様の設定なのだから。

オーロラ姫の求婚者4人はそれぞれ色、デザインの違った衣装で、それぞれ違う国の出身者という設定のようです。どの衣装の人がどこの国の出身なのかは分かりませんが、設定が細かい。

次は男性3人が踊る「ソロ」という作品。速い曲調に合わせて次々と男性ダンサーが踊りを披露する。楽しくて、観ていて飽きない、眠くならない。2日間とも同じダンサーが踊っていたようで、この作品が身体に馴染んでいるようでした。

「海賊・第2幕のパ・ド・ドゥ」。バレエ好きの友人から「永久メイちゃん、注目!」と言われていたので楽しみにしていました。体型はとっても細くて、加治屋百合子さんをちょっと思い出します。

踊りの方は、うーん・・・、12/2は緊張していたのかな。フェッテも途中で崩れてしまったし。踊りが終わってポーズを取る最後の音に合わせるように、ピッと手首から先を動かすのも、もう少し自然な方が良いのにと思ったし(マリインスキースタイルなのでしょうか?)。

12/3は前日より調子が良く、テクニックも安定していました。そして最後の音に合わせて手首から先を動かす仕草も、それ程気になりませんでした(自分が見慣れたのかもしれません)。外国のバレエ団内に日本出身のダンサーがいると、来日公演では本国の公演より重要な役を配薬されることがありますが、パ・ド・ドゥを任されるとはかなり期待されているのでしょうね、メイちゃんは。

12/2の相手役はエルマコフで、男性的で力強さを感じさせる踊り。12/3はキム・キミンはジャンプが高く、マネージュが高速、テクニシャンぶりを見せていました。

 「バレエ101」。アイディアとユーモアのある作品で、面白い。バレエのポジションとパに1~101番までの番号をつけて、最初は番号ごとのポジションとパを見せる。徐々に番号がランダムに告げられて、それに合わせてポジションとパを組み合わせて踊りになっていく。告げられた番号に合わせて正確にパを繋げるダンサーは、精密な機械のようです。 最後の101番目のポジション(パ)は、観てのお楽しみで、最後にアッと驚く仕掛けつき。ちなみに1番から6番まではふつうのバレエのポジションと同じです。2日はシクリャローフで、3日はザンダー・パリッシュでしたが、お二人とも見事。

2日の「フラッシュ・バックよりパ・ド・ドゥ」。初見の作品でよく分かりませんでしたが、綺麗でフワフワの作品ではありません。エカテリーナ・コンダウーロワが感情の起伏の激しい女性を演じていました。コンダウーロワに似合う。ローマン・ベリャコフと息の合ったパ・ド・ドゥを見せてくれました。

2日の「タリスマンよりパ・ド・ドゥ」。タリスマンのパ・ド・ドゥも過去2回ぐらいしか観た記憶がないので、見どころがよく分かりません。ロシアのダンサーが好んで踊るパ・ド・ドゥ、というかロシアのダンサー以外が踊っているのを観たことがない。キム・キミンがここでもテクニシャンぶりを見せつけて、大きな拍手をもらっていました。キム・キミンは観たことがないような回転ジャンプ(うろ覚えですが、両脚を膝から折り曲げ、進行方向に向かって回転ジャンプをしていたような?)をしていました。あれは何だろう?

3日は2日の「フラッシュ・バック」「タリスマン」に代えて、「別れ」と「チャイコフスキー・パ・ド・ドゥ」が上演されました。

「別れ」も初見で、マリインスキーダンサーのユーリー・スメカロフの作品。ダンサーとしてのスメカロフは、前回の来日公演で白鳥の湖でロットバルトを演じているのを観た気がします(うろ覚え)。作品は大人の男女のパ・ド・ドゥという感じでした。

ナデージダ・パトーエワとウラジーミル・シクリャローフの「チャイコフスキー・パ・ド・ドゥ」。悪くはなかったのですが、夏のバレエアステラス2018で観た米沢さんのチャイパドが良かったので、それと比べてしまうと・・・。シクリャローフはソロで踊っている部分でちょっとミスした部分があり、会場からはブラボーと大きな拍手が飛んできましたが、自分で納得いかなかったのか早々に袖にはけてしまいました。その後の踊りで挽回して、大きな拍手を存分に浴びていました。

第三部は「パキータのグラン・パ」。

2日はテリョーリキナと石油王の息子(らしい)ティムール・アスケロフ。テリョーシキナを観たくてこの日のチケットを取りました。テリョーシキナは出てくると主役オーラで場が締まります。観るべき人が出てきたという感じです。パの名称は知りませんが、片脚ポワントで立ちながらトン、トン、トンと前に進んでいく技の優雅で余裕のあること!テクニックに定評のあるダンサーは安心して観ていられます。

3日はエカテリーナ・コンダウーロワとアンドレイ・エルマコフ。コンダウーロワは大人っぽい美人なので、前日のテリョーシキナとはまた一味雰囲気が違います。テリョーシキナが赤い花のようだとしたら、コンダウーロワは白い花という感じですかね。

群舞が脚の上げる角度や身体の向きが合っていない部分がたまにあり、白鳥の湖は大丈夫だろうかとちょっと心配になったパキータのグラン・パでした。

 

 

(いまさらの)アリス雑記

新国のアリスは計3回観て、そのうち2回は小野さん主演日でした。比較的記憶に残っている小野さん回について、感激の記憶が忘却の彼方になる前(すでにかなり忘却しつつある・・・)にアリス雑記。

小野さん演じるアリスは元気で明るい女の子。庭師のジャックにほのかな恋心を抱いているようで、二人の仲は見ていて微笑ましく、良い感じです。福岡君演じるジャックは、アリスとは所属する階級が違うことを感じさせる庶民感。身に着けているものだけでなく、所作や佇まいからも上流階級の人間ではないことが分かります。といってもアリスが恋心を抱くぐらいだから、下卑た感じはなく、すっきりとした若者です。

大らかで浪漫を感じさせる旋律に合わせて踊る2人のパ・ド・ドゥは、看板ペアの面目躍如でとてもスムーズです。観ていて安心感があります。そして元気で明るいアリスは、ジャックとのパ・ド・ドゥでは、乙女になる。恋する女の子の幸福感を感じさせます。

アリスは上演中、ほぼ出ずっぱり。テクニックや演技力だけでなく、相当体力が必要とされそうです。米沢さんと小野さんの2キャストで連日よく上演したなと思いますが、さすが新国立劇場バレエ団の2大看板女性ダンサー。最終日に観た小野さんも疲れは見せず。日本のバレエ団で短期間に4回ずつ主演を務めるなんてことは(わたしの知る限り)あまりないので、疲れは蓄積していても充実感も感じた舞台経験だったのでは、と勝手に推測しています。

アリスが訪れた家の前で女王からの招待状のやり取りをする魚の召使とカエルの召使の場面。魚は井澤(兄)君でカエルは福田(兄)君。くしくも(?)同じバレエ団で兄弟で踊っているダンサーのお兄さんコンビ。両者ともテクニックに不足はないダンサーなので、高度なテクニックをさらっと簡単そうに見せて、楽しさとコミカルさを客席に届けます。

魚とカエルの楽しい場面から一転、家の中は公爵夫人、公爵夫人があやす赤ん坊、そして怖ーい料理女がいます。料理女はソーセージを作っています。一見何でもなさそうな家の中が、狂気をおびた料理女によって、場面は次第に凄惨な雰囲気に変わっていきます。この家の登場シーンで「Home Sweet Home」と書かれていたわけですが、こんな凄惨な場面が「Home Sweet Home」なのか。イギリス人らしいブラックユーモア?

米沢さん主演日に観た、本島さんの料理女が本当に怖かったです。さすが演技力抜群のダンサー。今回のアリスでの本島さんは、ハートの女王も料理女もまったくハズレがない。

マッドハッターはどうしてもロイヤルのスティーブン・マックレーと比べてしまうので、割愛。マッドハッターって、ローザンヌバレエコンクールのフリーダンスでタップダンスを踊り、観客・審査員ともに度肝を抜かして最高賞をかっさらっていったマックレーのための役だと思う、つくづく・・・。

群舞で目につくダンサーがいると思うと、木村優里さん。頭に数字の飾り(なんの数字かは失念しました)をつけたトランプの群舞でも、色とりどりの明るい花の群舞でも「あれは木村さん!」と一瞬で目に入ってきました。華があるって、舞台人として本当に最大の武器です。

ルイス・キャロルで、白ウサギで、終幕で現代青年(役名は不明)役の木下君。踊りは間違いなく美しくうまいけれど、白ウサギ役はどうなのだろうと開幕前は思っていました。ルイス・キャロル/白ウサギはスレンダーで長身、演技力があってユーモアも表現できるダンサー、ロイヤルのエドワード・ワトソンのイメージが強いので。

観劇した結果、ルイス・キャロル/白ウサギは、木下君の当たり役かもと思いなおしました。ルイス・キャロルのときはアリスと同じ階級に住む新しもの好きそうな青年、白ウサギのときは落ち着きなくワタワタとして可笑しみがあり、終幕の現代青年はすっきりと爽やか(っぽい)。

木下君はシンデレラで道化役を演じているので、ユーモアが必要とされる役を演じたことが無いわけではありません。が、道化役を安心して任せられるダンサー不足で木下君にお鉢が回ってきたのか、道化タイプではないのではと思いながらシンデレラの道化役を観ていました。で、今回の白ウサギは、そんな思いを払しょくしました。ユーモアとダンス技術の確かさ、ルイス・キャロルと白ウサギと現代青年の役柄の演じ分け。存在感があって、かといって存在を主張しすぎない。名ストーリーテラーだったのでは?

もっと書き残しておきたかったこともあるような気がしますが、今回はこれで終わりです。やはり記憶が鮮明なうちに書き残しておかなくては、と反省・・・。